今朝、テレビで、バイクのすり抜け・・・追い抜き・追い越しが危険・・この部分までは解る・・・事故等に繋がる、又ドライブレコーダーの動画を見せて、誘導をしている感じを受けた。
当然、すり抜け、追い抜きは危険だから駄目と、言う人が多い、それを取り上げ、違反行為の方向と、働きかける等々が有っていた。
私は、昔、渋滞中の車が通してくれたので、小さな交差点を通過し用と思ったら、路肩を猛スピードで、車が追い抜きをしていて、その車が私の車の横に激突・・・当然、その衝撃で、渋滞中で停止していた他の車にも被害を与えたが・・8対2の割合で、私が悪いというのが、その当時の裁判所の判断になった。
要は、車線が一車線だから、一台しか通過しないと思い込んで居る、私が悪いと成ったし・・・当然、バイクや自転車・歩行者が居たら、人をはねた事故と成る。
先に逝ってしまった、義理に弟が判事を行っていたので、論争を時々きしていた。様は、一方的な私の勝手な価値観での正義感が強い、又、この考えが正しと思い込む癖があり、それを指摘もされていた。
日本国の裁判官という前提、正義に成る。その為に他国や、価値観が違う場合、判決も180度変わる可能性が有るのが裁判と言っていた。正しいと言うことで無いと言うこと・・今の環境が是邸での判決と言うことに成る。
もし、今日の報道で、すり抜け、追い抜きは交通違反と成ったら・・・田舎の我が地域だと10強位のスピードでユックリ、走っている原付スクーターのおばさん達を追い抜が違反行為に成る。当然、幹線道路は大渋滞に成る。
又、電話で一時停止し、路肩に停止中の車も簡単にすり抜けることができないと成る。
要は、一方向からの捉え方で、事を決めてしまうと大変か事に成ると言うこと・・・
以前、書いているが30kmのスピードで一種のバイクは走ることが求められる・・・大型トラックのタイヤが体に当たりそうな状態で、すり抜けていくと言うのが田舎の道路事情に成る。出来るだけ迷惑を与えたくなあいと、路側帯に入って、左ギリギリは走ってこの状態・・・追い抜きが違反成れば、この様な配慮は必要なくなる。堂々と、道の真ん中を遅いスピードで走り続けても迷惑とならない事にも成る。
此も書いているが、愚民化が加速している。要は、己の足で立てない、人、特に力を持っている権力側の力に頼ろうとする、民衆を創り続けているように見える。
敵、悪い敵だから、被害者が苦労している、だから法を整備してくれ・・・
私は、敵味方という考えは無い・・・しかし、肩書や、カタログスペックで人を信用しない、信頼までに留めるし、当然、失敗も間違いも嘘もつくのが人間という基本も解っている。
要は、目の前の人、事柄をどう捉えるかは、己の判断で、自業自得と成る。特に、家族・守る人が居るなら、背負う人が居る分、用心深さも強くなるのが当然と私は思っている。
この部分で、信用していたなら、騙されると言うことは無い・・・子育てと同じ、親として勝手に期待し、期待通りに成らなかったからと、騙されたとは成らない。
信用とはその様なこと・・・逆に己の欲が深く、言われた効能に魅力を感じ、それを得ようと、お金を渡したが、効能が無かった、だから騙されたと成るなら、少しは私も理解できるが、信用したからと最初に言うなら、損して、負を背負っても良いと言う覚悟が有ったのに何故と、私の場合は成る。
善意での行動で無く、己の欲・我欲から発する行動は、結果的に思うような結果を得ることは出来ないと私は思うし、この価値観の人なら、何が有っても満足というレベルには達することは無い。
結果、味方から、一旦・・敵に変わったら、匂い、陰さえ消し去りたいと成る。
要は、無かったこと、歴史にも存在しない、抹殺する方向に成る。
要は、己の失敗、消す方向に成る。
間違い、失敗を認めない言う価値観の持ち主に多い・・・
勝てば官軍・勝つ事が正義の証明等々、思い込んでいる・・生き残るためには、この価値観なら、敵でも相手が勝てば上手に取り入れられようと努力するのが人間・・・しかし、その中で、生きられた、此が、この後、今度の敵が勝ち、同じ様に、新たが正義に取り入れられようと成るが、当然、己の意思で前政権に取り入れたわけで無く、強制・命令で奴隷のように過酷に使われたと言った方が、己の身の安全に近づく・・・
当然、旨い水を楽して飲んでいたこと等、死んでも口から言えないと成る。
私は、生きていくことで楽したいとは思わない・・・生きられているだけで感謝と思うし、幸せだと考えている。
要は、富が有るから、恨みや妬みが出るし・・・満足感を得たいが、貪欲すぎる我欲に負け、充実感も感じない、満足感も無い・・・当然、世に対して感謝の思いも無い・・・・
今、危惧することが、民衆が弱くなって・・全て権力者に頼り、ルールで我々を守ってくれという流れに成っている。
ルールを作っても、結果として、管理側の責任がなくなる方向・・・様は権力側が楽になる方向・・本来、民度を上げる、教育・対話運動等が必要だが、それを放置し・・・問題が出れば対処療法で・・・バンドエードで傷を隠すという流れ・・・傷を創らない方向を何故目指さないのか???
ルールが厳しくなれば、無くなることも無く、地下に潜る、見えない方向に行くだけで、現実には有り続ける。
ルールを簡単に創る・・勿論、それは一般市民を縛ることになる。此が解っているなら、日本国は???と、義理の弟が言っていたが、他国に比べ、幸せな国、国民の民度に期待し、有る国と言うことになると言っていた。
燃し無ければ、直ぐにルールが出来、一般で無い人は、苦痛・生き難い世界と言うことになるし、当然、言動の自由も、愚痴も言えない・・そのストレスが、爆発、大事件を起こすことになる。
現実に、今言われている一般・普通の人・・・存在しない、人間なら無理で不可能な人間を超えた、神的な人と言うことになる。
結果、全ての人が不幸になる、ルールを作り続けることになる。
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