2025年2月23日日曜日

帰宅前に挑戦!!!

 今朝は(、何時もの様に自主練を行ったが、帰宅のことが気になり、軽めに行った。その際、昨日嫁が持ってきてくれた。帰宅時の寝間着、家族に着替えを手伝わせるのも嫌なので、己で行なおうと挑戦・・・関節の可動範囲が少なく・・・今までは介護の手を借りて着替えていたが、節々が痛いが、ギリギリ出来た。何も考えずに出来ていた、事も出来ない此が現状だが、この状態を良しとは私はお思わないし諦めもしたくない勇気を持って、挑戦するしか改善には向わないと私は考えている。特に環境がこの思いを強くさせる、殆どの人が病人コスプレ・・・呻き声・嘆き声が常時耳に聞える環境・・・私には地獄の環境に思えるし、少しでも役立とうと思っても、聴く耳を無くした人が殆ど・・・・死を待っていると言う状態だし、その様な様態の人が集められている。今はこの列も並びたくない・・・悪足掻きと言われても争いたい・・・今の身でも人様の役に立てると思っている。現に今居る環境では求められている、誰でも良いと言う事だし、説話の「蜘蛛の糸」の様に、蜘蛛の糸にも縋り付きたいという人達が、周りにおうぜい居るが、私の吐く、糸を掴もうとしないし、拒絶する人が殆ど、何を求めているのか???この状態に成っても絵に描いた餅を求めていくのか???心・命の安穏を何故目指そうとしないのか???不思議で成らない。

私は、体の事を器と表現するが、この器は当然色々有る。生物としての人間・動物・等々、多岐にわたる生物・・・見える物質には全て、命・心があると私は思って居る。道に落ちている石にも命・心が有ると思う。私が理想とする共存共栄は、全ての命・心になる。しかし、同じ種族の人間はお互いに対峙して事を進めようとしている。又、此も何度も書いているが、「生老病死」で人間だけが老と病との期間型の哺乳類に比べ長い、私の見解は昔のブログに書いているので省くが、生殖能力が無くなっても寿命がある置得事は、人間の場合、集団生活を行っているこの集合体で高齢者も必用という事に成るが、現代は不執拗の方向に向っている。此が進めば、当然、寿命も生殖の力が無くなったら尽きると言う、一般の動物の様になる。病の部分は、医療の発達で、死んでいたことが、生き残れる時代、何の為に生き残るのか???死を待つ人達を作り残った命を役に立たせたいとも思わない、此で生き残れるのか又宇宙のリズム命が其れを容認するのか、疑問が有る。人間という器を手に入れた命に過ぎない、無限にある生命の姿の一つ、動きたくない無いにもしたくないという思いが強ければ、石に生まれるかも知れない。この考える能力で長けているのが、地球上だと人間となるし、この器を手に入れたなら、如何、心・命を磨くかが、将来・未来・来世に影響する。

現代人、本質部分を忘れて器のキラビラ差を競っている。意味は殆ど無いと思うし、それに気付くのが、終活も終焉になる。今の病棟の様相だと思う。

気付いてくれ、今なら間に合う!!!このままでは危惧していた最悪の悲惨方向に向う気が強くなってきた。人の命の内在している仏性を信じている!!!

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