2019年2月27日水曜日

唯物的部分は、+・-0が基本

無かは物は出来ない・・・・何かを使って、変化させて物が出来ている。

人も生きると言う事は、何かを消費して生きている。

無限の消費が続くなら、当然、その材料に成るのも、無限に有るか???・・無ければ、作り出しているか???作り出す為にも消費は続いている。

先のブログに、人の、価値観・・・・・利己主義・負他主義・・・・・又は利他主義・負己主義・・を書いたが・・・・

何度が、書いている様に、生きる事は消費をして生産をする。之を繰り返して、生産を利と考えれば・・・消費以上に生産が高い、之が、利に繋がる。
逆に、消費以上に生産が低いと、負が発生する。

仮に、利を+と考え、負を-と考えれば、私は最後は0に成ると考えている。

人の一生を見て、一人が、乳幼児から高齢者に向かっている。
乳幼児は孤独では生きれない・・・・この事は-に成る。高齢者も同じで-に成る・・・・
人の一生で、+の作用が出来る時期も有るが・・・・-の時は、人様の手が居る時代に成る。

その為に、他人様が必要に成る・・・・この人の最小の単位が家族と私は考えている。
この家族の中で、確り処理をする。之が、家族以外に迷惑を掛けない方向だと私は考えている。

+・-・・・0と成れば、良い・・・・と私は考えているが、之が+を求め過ぎると、引く側に成る、-側の人が、居なければと言う考えも算術だと出て来る。

しかし、先に書いた、人の一生は・・・+の時期も有るが、-の時も有る。之を、理解もしないで、今・現状は、自分は+側に作用している。-の人が居なければ・・・・もっと、+側に数字が増える。

結局は、この価値観が、家族の崩壊に向かう・・・・・・-を場外する方向・・・家族で処理できなければ、次は一家や一族に成る。

当然、この部分も価値観が、先の様な方向性なら、当然、一家や一族からも、除外される。

次は、地域社会に成る・・・・此処もお無い価値観なら、当然、除外される。

最後は、国家と言う括りに成る。

この考えなら、国家・国には-側を押し付ける・この流れが正しいと成れば・・・・国は-を処理する為のものと言う考えに成る。
逆の考えで、+を押し付ける場所が国と言う考えも有っても良いと私は考えている。

この部分も人の本性部分の、損得勘定で勝手に思い込んでいるが・・・・国とは、国民が主体者と言う事なら、-を国民が背負う事に成ると言う事に成る。

嫌だと、全ての集団から除外方向にされた、-は最後は、国と思っているが、そのまま戻って来ると言う事に成る。
勿論、-の国民全体への分配に成るが・・・・

よく、世間的には国の富の分配論争が有るが・・・逆の部分、負の分配論争も同じ位、有っても良いと私は考えている。

今は、地域社会も崩壊に向かって居ると言われている。之が続けば、当然、国の崩壊に向かう・・・

国が崩壊すれば、当然、他国に迷惑を掛ける事に成る。

隣組と同じで、お隣さんの問題を何故、我家がと思う人が多い・・・・勿論、この思いを出せる事は、我家は確りと、+・-・・0を保っている事が前提に成る。

その次が、先に書いた、家族や一族・親族等々の順序が有ると考える。しかし、この部分が崩壊していれば、当然、地域社会に成るし、この集団も崩壊しているなら、国に成る。

何故、私が・・・・と思える事は、-を背負いたくないと言う、命が有るから、しかし、何度も書くように、人の一生は「生老病死」マイナスの時期が有ると言う事が、解っているなら・・・又、感じ方も変わると私は考えている。

マイナスの時期に-を背負う、之はキツイし共倒れの可能性が高い・・・出来れば、+と時期に背負う方が、私は良いと考えている。

この様な価値観が、結果的に、大きな国家間の問題に成り、争いに成って、最後は滅びる方向に成る。

何度か書いているが、一番幸せな環境は、将来に向けて期待が出来・展望が出来る状態を続ける事だと私は考えている。

間違っても+の足し算で、大きな数字にする事で無い・・・・

-を背負う、当然、この状態では????と思う・・・力が無ければ、力を付ける方向を模索する。この挑戦が結果的に、将来への夢や期待を増幅していく・・・之が幸せだと私は考えている。

何もしたくない、だから-を背負いたくない、増して今の-も降ろしたい、之を模索する、生き方は、同じ将来への、展望や期待は有っても、現実には思う通りには叶わない・・・その都度、-が側にいたからと憎み・恨む生き方に成る。

-を背負った、生き方は、思う通りの成らない、之が普通・・・その為に、将来への期待も低く成る。低くて当然と成れば、若し、イメージより良ければ、背負って居る人に感謝の念が出て来る。


私は、感謝できる生き方が幸せだと考えている。

一番の間違いは、人と比較して・・・上下感や損得勘定で勝っている・・・之が幸せと思って居る人は不幸だと考えている。

現代は、自分の力・・・之を見せて、評価してもらう、この評価が高い、之が幸せの基準だと考えている。

結局はこの部分に対しては無理をする。分以上の見栄を張る・・・1プラスだが・・・表面的に10+と見せようとする・・・・之で、評価され、貴方は厳しい判定で8+と成る・・・当然、周りは見える部分を信用する。8+の人だから当然、之くらいの事は出来る、又、背負えると勝手に思う・・・5-と背負っても余裕が有る筈だと考える。

この周りの期待に答える、之も人眼を気にする生き方の人は大事だし、無理をする。
現実は、4-に成っているが・・・当然、手を貸すと言う人は出てこない。

この状態で、破綻すれば、結果的に、気付かなかった、周りの責任と、恨みが出て来る。

私は、家単位で考えている・・・・その為に、家は-と考えているし、現実である。これを+・-・・・0に成る様に、私自身は頑張っている。

しかし、力不足で、マイナスのまま・・・・之も、世間に見せているので・・・回り方手を差し伸べて頂く・・・・その都度に、力不足を再認識するし、当然、好意に対して感謝する方向に成る。

私は、世間には、一流や優秀な人が、多いと、耳に入ると書いて来た。

この事は、当然、各自、最小単位の集団は違うが、個人・家・親族・一族・・・・どの単位で又属している等々で違うが・・・・その中で、一流と言うなら、当然、プラス側に大きく数字が有る人だと思うし、スペックと等も当然、良いと成る。

之が意味する事は、多々のプラスの大きな数字が有るなら・・・大きなマイナスも許容できると言う事に成る。

見栄での数字なら、当然、小さなマイナスで破綻に成る。
この方向に進めば、当然、手を差し伸べない、小さなマイナス・・・この方向への責任転換に向かす・・・・可哀そうな、価値観だと私は考えている。

力が無いから、小さな単位の家族さえ、守る事が出来ない・・・之が私の現実に成る。
他の家族は、現代的価値観を強く持っている・・・それを守る、大変である。

家族を見ていて、最初に書いた、利己主義でないと本人達は言うが、現実には、負他主義が確りと見えている。
口では、人の為、仲間の為、等々言っているし、之を利他主義と言っているが・・・負己主義には絶対に見えない。

負と苦から逃げようとする、命が、透けて見える。

之が、我家の現実に成る・・・・若し、この流れが、社会の風潮なら、社会も同じで、負と苦から逃げる、又、この方向に長けてる人が、若し、優秀と言うなら、怖い世界だと私は考えている。

人間味や男気等々、無い世界に成る。

この集団が国家を創っているとするなら、当然、国家間で、負や苦の押しつけが始まる。
耳障りの良い、言葉だと、利や楽を求める、又強く求める、之が、正しい考えと成って行く・・・

小さな単位の家族も同じに成れば、負が有る・苦が必要に成る、人は、当然、排除される方向に成る。

怖い、ファシズムに近い・・・・





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