2020年1月19日日曜日

貰い受け

今日は、四男の嫁を貰い受けに行く・・・・

昔の我が地域の言い方が・・「貰い受け」

我家・我一族に頂きますと言う意味に成る。

当然、一族・我家の承認を得て・・家長である私が最終・承認を行ってと言う事にも成る。

勝手に・・・この日を、私に確認しないで、家族が設定している。私の感覚だと筋が通っていないと成るが・・・仕方が無いと、行く事にしている。

昔は、この時に、色々な、決め事が有った。

支度金・結納金等々の貰い受け側の、条件・・・・・基本は、住む場所の等々の確認・・

読める側は、それに応じた所帯道具と言う事に成る。
昔は、嫁入り道具と言われていた。

その為に、娘三人嫁らせると・・・竈の灰まで無くなるとも言われていた。

現代はこの部分が大きく変わっている。

上の三人の息子達の時も・・・全て、貰う側、男が我が、所帯道具と整える様になっている。そこに、身一つで転がり込む・・・・こんな感じに成っている。

又、昔は、家・一族の末弟に入る、之が嫁の立場だったが・・・現代は、息子を貰ったと言う感覚が、嫁側に有るし、強い・・・・

その為に新郎側が言っていた、貰い受け・・・この言葉も最近は使わない様になっている。最近は、顔合わせ程度の言い方に成っている。

時代は変ったと思う。

昔は、家を良くする・守る・・・之が子供の役目で・・・男の子なら、当然、自分の家に成るし、女の子なら、旦那の家に成る。

家を守り、発展させるための、子供と言う認識が有ったので、子供は、家の宝・国の宝と言われていた。

宝だから、背一杯の投資も行っていたと言う事・・・・・・しかし、他が為の意識が、子供達に無い。

回りからの、施し、投資も、権利だと思ってしまっている。

この様な、子供達の価値観で、理屈的に考えれば、結婚・子供を儲ける等々は、損と成る。しかし、動物的本能が、強く出た場合、結婚と成っている感じが私はします。

結婚や子育てに対しての、理屈が無い、理由が無い・・・本能がタマタマ・出た為・・・之が問題だったと思う様に成ると、当然、離婚等に成る。

結婚・子育てに対しての、確りした目的・理由が無いと言う事・・・簡単に書けば、ペットを欲しがる、感覚と同じという事に成る。
余裕が有るからに成るし・・・余裕が有れば、ペットに贅沢をさせて自己満足を楽しむ・・この流れで、結婚・子育てを考えている人も増えている。

昔は、家・一族を守る為の、己と思う人を、家族と言っていた・・・その為に他の家族から、大事な守り手を、頂く・・・その為に貰い受けと言っていた。

どの家も、大事な守り手を、手放す・・・簡単に了解を得ない・・・色んな条件が出るのは当然と成る。

この部分の意味が、今も続いているのが・・・姓名・・姓を変える・・・名字の意味が、その一族・家も守り手だと言う、証に成る。
嫁る側が、変わる事に成る。

この様な、部分が、最近では無く成り、親同士の顔合わせとなっている。
結婚の意味が、大きく変わっている。
結果、顔合わせの意味も薄れるし、決め樽・結納・結婚・披露・と言う流れも、意味が無くなる事に成る。

之が、意味する事は、家と言うものが無いと同じ・・・・この流れを求め、創ったのも、私達年代も、含め・・上の年代だと思う。

その人達が、今に成り、どう感じているか・・・耳に入る言葉は、悔いしかない・・要は悔いる行動を、現役時代に行っていたと言う事・・・気付いた時は「時すでに遅し」
結果、祖先から、預かり続けたバトン・・意味的には駅伝のタスキに近いと思うが・・・そのタスキを、どう置くかを悩まれている。

駅伝の、タスキを渡す事が出来ず・・・二区間・三区間・・走った人達が、走れる体力も無くなり・・・置くしかない、片付けるしかない・・この現状を悔いてある。










0 件のコメント: