飼い犬のリン・・・昨日から水も食事も取らない・・・・寝床から一歩も出ない・・・・最後の看取りを私が行うと決めているし・・・・今まで、我家に飼った動物たちを見送っても来ているので・・・・・当然の事と行っている。
昨日から、2~3時間おきには見に行く・・・時々、吠えるが、その時も見に行く・・・この作業を行なっている。
勿論、此を行ったからと、長生きするわけでもない・・・しかし、今まで、共に過した仲間で有る、リンを最後まで、家族として見送りたいと思っています。
何度も書くが生物・生き物・動物は「生老病死」が有る。
此は必然で有る・・・逃げる事も出来ない・・・仮に、神と言われるキリスト・・・当然、死んでいる・・・仏と言われる、釈尊・ブッタは当然、死んでいる。
肉体を持ち、動物として生まれたなら、死は当然で有る。
私は、この死について勿論「生老病死」全体をどう認識しているかが大事だと考えている。この四苦は当然有る物と言う前提で、だから何が出来るのか、当然、生有る健常な時にを考えられるのが人間だと考えている。
動物の様に、タダ、受入れて待つだけ・・・嫌だから、生有る・健常なときは我侭で己勝手な振舞が出来ると、それを推進するような流れさえ有る。
要は、「生老病死」を考えない、無視した生き方に私からは見える。
私も死ぬ・・何度も、書いているように、寿命は長いとは思えない、大病を患っている。
生きれる時間が、誰しも限られているが、私はその時間に何が出来るかを、強く意識している。当然、死んだ後の事に成る。
死んだ後に何を残せたのか???・・・物質的部分も大事だが、人として人とは???・・何が大事なのか???・・・此を、少しでも私の感覚で残したいと考えている。
要は、この様な部分を放置した、何故か、死んだ後の事・・・と、責務を放棄した考え方の蔓延で有る。結果、歴史は繰り返される等々、同じ現象で人々が、苦しみ、悲惨と言う状況を何故か、繰り返し創りだしている。
後生に何を伝え、残すのか????・・・此が、私は人として生きる道だと考えている。
勿論、三流で劣っている、人としては異端児だし、嫌われ者だが、それでも何か残せるはずだと、信じている。
人間らしく生きられる世界に、一歩でも近づくため・・・微力だが行いたい、此が、力ないために、小さな世界に成ると思うが、家族を出来るだけ多く、持つ・・・影響力が無い、私に出来る、事に成る。
リン、目も見えないと思えるが、何故か、暗いなら嫌だと勝手に私が思って、水銀灯を明々、点けている。
此も、共に過してくれた感謝の、思いを形にした事に成る。
私は、恵まれている、この様なリンを見て、祈れる・この祈ると言う事は人にしか出来ないと私は思える。
何も出来ない、唯物的にはなんも無い・・しかし、何かが出来る。此が人で有る。唯心的部分も、学ぶ必要が有ると、何度も書いている理由になる。
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