2021年11月6日土曜日

最後の戦い・・・・

私は敵・味方と言う発想が嫌いだ・・・・見方を求めると言う事は、敵が居ると言う事にも成る。

しかし、敵と言えるものが居る・・・私の場合、内面に居る・・・・

自己保身と言う命と我欲と言う煩悩に成る。

当然、戦うことに成る・・・・しかし、三流で力が無い、劣っている人間、考えなかった事、思わなかった事にした方が、楽だし・・・・と成る。

私は、分を超えると思えるものを背負っている。そのものを死守する思いが、結果的に勇気を頂いていることに成る。

若い時から、悩み続けた、何の為に生きる・・・最終的に何の為に死ねるか???

色々、模索も本も読んだが・・・・私の場合は、思想・哲学等々で無く、現実に守るべき人を背負う事の方が、生きると言う意味に成った。

凡人として、家族と言う集団を持ち、その責任と義務を身で果たす。之が生きる事だと私は考えている。

要は、バカなので、己で経験しないと解らないと言う事にも成る。

結果、三流で劣っているが・・・この立場でも、何かが出来ると探す事に成る。

人を導く様な力は無い・・・要は、背負っている人の為に、ケツ拭きをする事が私だと考えている。

親バカと言われても、今日は、息子達にも電話・・・心配している四男、福岡の西区が現場と、電話口で言っていた・・・今は昼食で、ジョイフルに居るとの事・・・

親として一安心した。


昨晩、四男が、「親父が言っていたことが、少しは解るようになって来た」と言っていた。俺は若いし、体も頑丈・・・この時だから、人の三倍・四倍は働くと言っていた・・・彼も言葉では理解できない、私の子だから仕方が無いと思う。しかし、現実に今は三人を背負った・・・潰れそうだと思うが、それ以上に頑張らなければと言う思いが出て来る。感謝に成る。

土日も働き、それでも支えきれないなら、寝る間も削ると言っている。

私も、父の倒産後・・多くの物を背負った・・・現実に押しつぶされそうだった・・当然、逃げた方が楽な事は解っているが・・・力が無い為に、逃げる事も出来なかった。

振るえる足で前に進むしかなかった。

この経験を私は感謝している。多くの事を学べたからに成る。その後も色々な私には試練に成る事が続くが・・・耐える事が出来た。

先人が言っている。又、母が言った「若い時は、苦労は買ってでもせよ」お金を出して買いたいと思うほどの価値が有ると言う事、何に????・・・苦労に成る。

子供達には、各々、戦う場が有る。逃げずに戦え・・・何の為に戦うか、死守する人を守る為・・・と・・・言い続けている。

それが、出来なければ、生きている意味は無い・・・死ねと簡単に私は言っている。

現代は、幸せな環境が有り、苦労と言う苦労をしなくても生きれる・・・しかし、苦労が無くなった訳でない・・・厳然と苦労する部分が、幸せな分、存在している。

担ぎ手として、生きるしか、三流の生きる道はない・・・・



 

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