息子達が親に成り・・・子育ての時期に成っている。
長男は、基本、稼ぎ人として振舞っている・・・前妻の時も、今もこの方向性は変らない様だ・・・結果、若嫁が、子育ての頑張っている。結果として、家に己の場所が無いと言う感覚を抱いているし・・・帰宅恐怖症に少し成っている様だ・・・・
次男は、人目も気にせず・・・息子二人の為に、愛情の鞭と言っているが、その様は育て方を行っている。
しかし、私の目からだと、経験が昔の為に、摩っている様な鞭・・・・レベルの差が大きく有る。
しかし、人目を気にせず・・・之は大事だと思う。
子供をガキと言う時がある。本来は餓鬼の性が強いから、ガキと言っているのだが・・・餓鬼とは、喉の渇きが常時起きる、欲しいとバタ狂いする、鬼の様相と言う事に成る。
この様な振舞いを起こす、当然、他の動物にも有ると思うが・・・人間は少しは頭が有る為に、他を利用する事も出て来る。
他人の目を気にする、親と思えば、他人の前で餓鬼の性を出す・・思い通りに成る為には、場所も手段も気にする事は無い・・・・
環境次第で、振舞い方を変える・・・考え様では、賢い子に成る・・・
又、子との約束・・・・子が求めるので、約束を交わし、その求めを叶える・・・当然、この目的は達成された・・・之で、子は終わっている。
しかし、約束を交わした方は、約束が残っていると思っていても、当事者の子は、思っていない。
獲たいからの出た、嘘も方便と言う事に成る・・・・
本来は、方便とは釈尊が残した経典の一つに成るが・・・嘘の様だが真実だと言う意味
もう少し、書くと・・・到底不可能な事を表しているが・・・それが出来るか出来ないかは解らない・・・・それを実践する人で変わると言う事にも成るが、到底不可能なら、実践する前に、嘘として片付ける事が、利口・賢いと言う、人間の思い上がりを指摘している経典だと取る事も出来る。
子との約束・・・子からすれば、到底不可能と思うし、又考えない・取り組まない方が、利口や賢いと成る、事と同じ・・・親から見れば、努力すれば可能だと思うが・・・努力を面倒と捉えている側から見れば、不可能になる。
私は、人の数、不可能のレベルも色々有ると思う。
勿論、基準は己に成る人が多いと思うが・・・私自身、三流と思っているし、劣っていると思っている私の基準さえ、不可能と思う人も居る可能性が少数だが有ると考えている。
子育て、私は餓鬼を人間と育て上げる場だと考えている。
餓鬼の性を如何すれば、人間に向かわせる事が出来るか????・・・又育て上げた後は、どの場で生きるのか????当然、現状の社会に成る。
社会の中で生きる・・・先に書いた、寄生虫と宿主・・どちらを選ばせるかも大事な問題に成る。
仮に、寄生虫として育てるなら・・・当然、寄生する宿主がどの様な状態なのかも大事に成る。社会が寄生虫に対して、寛容かが問題に成る。
又、社会としての寛容さが無くなっているなら・・社会の中の組織・・・組織に的を絞り、寛容である組織を目指す事に成る。
要は、寄生虫としても、一流の寄生虫に育て居ている・・・それなら、一流の宿主の輩出も必要と言う事に成る。
社会、組織も、当然、人間で構成されている・・・この人間を育て創る作業が、子育てに成る。
しかし、問題は・・・どちらが、幸福なのか???当然、心や命が捉える事に成る。
一流の寄生虫は、考え様では、一流の餓鬼と言う事に成る・・・鬼の命なら、幸福と感じて居ても、若し、命に人間が有れば、当然、矛盾を感じる事にも成る。
鬼に徹するなら、命まで鬼に成る必要が有る。
要は、現代は、末法と言う時代、中途半端では駄目だと言う事にも成る。
鬼として生きるなら、鬼に徹する・・・しかし、人間という命なら、迷いや矛盾を感じ出す。
その為に、徹底的に鬼に徹する生き方を教えても、命に内在している、人間と言う命、之は無くす事が不可能であると、私は考えている。
要は、身も心も鬼に成れるか????・・・人間なら不可能問う事に成る。
最近は、孫の今後を楽しみにしている・・・当然、彼達が育って行く社会への関心も高く成っている。
彼達が、作る家庭も当然、気に成る・・・・・
しかし、私の周りの、人達、子育ても終わってる人たちは・・・子供達の将来等々に期待していると言う意見を殆ど聞かなくなっている。
要は、仕方が無い・・諦めた・・・と言われる人が何故か多い・・・諦めるだけの努力はしたかは解らない・・・私は、努力したとは思わないし、したと言う事も思っていない、ただ続けているだけ、爪痕だけは残したいと考えている。
しかし、汚れ続ける水に、少量の真水を注いでも意味が無いと言うのが、周りの人の意見に成る・・・要は、この世に対して諦めている事にも成る。
そんなに詰まらない世なのか???・・・夢も期待も持てない世なのか???・・・当然、この世の構成員は己の筈だが・・・之が意味する事は、己にさえ、期待も夢も持てない人と言う事に成る、私は、之を不幸と考えている。
幸を求めない不可能と思っている事に成る。
福・・・さいわい・・とも意味する・・幸福とは、幸が重なる周りも含めてと言う、共栄のと言う意味も有る。
要は、物を得る事で幸を感じる人も居る・・・それなら物を与える事で幸を感じる人が居れば、この形態でも幸と幸が重なる・・・幸福と言う事に成る。
要は、命を貰う人も居る・・・命を託す人も居る・・両方が幸と感じれれば、幸福に成る。
しかし、現代は、己だけと言う限定した、幸を余りにも求め過ぎている・・・結果、幸福には成れないと私は考えてる。
今、連絡が有った、四男からに成る・・・夫なら妻の曽田に居るのが普通と言う価値観の人が居るので、昨晩も、嫁里に向った・・・今日は休み、明日も休み、私の仕事車が無いので、帰って来ると言っていたが・・・向こうの家が反対したとの事・・・
四男の思いに感謝に成る。
彼が乗る車、三男の車だが、嫁の話だと、全て、私が稼いだお金で払ったと言う事・・・当然、車検等も、私が稼いだお金と言う事だが・・・表面的には三男が四男にプレゼントして車と成っている。
嫁の怒りが始まると思うが・・・仕方が無いと私は考えている。
バイクが有るし、昔に比べれば、自転車も有る・・・移動の手段は整っていると私は考えている。
又、歩ける足を持っている、幸せだと思う瞬間でもある。
何事も捉え方に成る。出来ないと予想していた事に対して、四男は果敢に挑戦した。凄い事だと私は褒めている。
二十歳の彼、今の時代の若者のしては、凄いと私は考えている。
勿論、己の思いとは違う、この違いは誰が悪いのか???当然、社会を構成している、己自身に責任が有ると言う事に成る。
責任を全う出来れば、当然、問題も感じ難い・・・この部分を多々感じると言う事は、全うできないレベルと言う事、何度も書く、劣っている三流の身と言う事に成る。
若し、この責任も感じないなら、この世に属していない、構成員と成っていない、部外者の人と言う事に成る。
社会に居ながら、世捨て人に成っていると言う事にも成る。
マスコミ等に出て来る、自称、文化人と言われる人達と近いと言う事にも成る。
世の中の全てに、当然、関係しているのが己・・・責任が有ると言う事・・・
後世の世を託す、後継者・・・それを輩出する、責任と義務が当然ある。
現代の日本・・先の大戦での題目の一つ・・・共存・共栄・・・敗戦した為に、無意識に否定的な捉え方をする人が多いのも現実・・・しかし、思いは正しいと私は考えている。
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