2019年11月3日日曜日

自己主張・自己啓発・・・

自己と言う・・単語が有る。
自ら「みずから」と己「おのれ」を足した単語だが・・・

この意味を考えると、非常に難しし・・・・当然、三流の私から、難しいと成ると思うが・・・感がると頭が痛くなる・・・奥が深すぎて、哲学方向に向かう・・・

理由は、自己とは各自で違い・・・余にも沢山あるからに成る。

自ら、己の主張をする。自己主張に成るが・・・・何を主張するかも各自の価値観で違う・・・

先のブログにも書いているが、仮に夢と言う題材でも・・・・我欲を夢と捉える人も居るし、大志を持ちそれに向かう事を夢と言う人も居る。

私の孫・・・保育園児に自己主張させれば・・・略、我欲しか言わない・・・欲い物が変わるだけで・・・本性は同じという事・・・
しかし、聞く側は、急に金額が安くなった、こちら側を配慮する能力が出来たかと勘違いを起す事も有る。

若し、自己主張が大事・自己啓発が大事・・・之を、孫の価値観で捉えれば、我欲の主張が容認された・・・我欲を持って、吟味して、今一、欲しい物を探す方向性を身に付けると成る。
モンスターベービーを創り出す事に成る。

絶対に手に入れる・・・この考えで・・・仮に他人に依存型・・子供に成るが・・・色々な策を考える事に成る。
私も孫と買い物に行くと、珍しく・・小さなお菓子を手に取った・・・之だけで良いかと尋ねると、よいと言う・・・可愛そうに思い、モット、大きい物をと口から出した瞬間、おもちゃ売り場に向かう・・・孫の策に、ハマった事に成る。

爺・婆は孫には甘い・・・・要は、過保護に育てる事に成るし、之に味を占めた、子供が大人に成ったら・・・怖い世の中に向かう事に成る。

昔は、子供が我欲を主張・・・我家でも、地域でも、この振舞いをすれば・・・大人たちから叱られていたし・・・棒を持って、追われていた。

この様な経験が有るので・・・自己の中には我欲も含まれるが・・それを出来るだけ無くした主張が、自己主張と考える様になった。
勿論、余りにも周りを気にして、奇麗ごとだけの主張なら、意味が無い・・・この部分も経験から来る、バランス感覚に成る。

この経験が、若し、偏っていると・・・先に書いた、モンスターベービが大人となって、生きていると言う世界に成る。
この様なタイプは、我欲主張・又は我欲啓発・・・と成る。この我欲を隠すために、周りは普通は等々の単語を多く使いだす。

子供が駄々を捏ねる時と同じ、友達皆が持っている・・之を持つ事が普通だし・持たない事は非常識等々を、言いう・・・こんな、大人を増やす事にも成る。

自分の我欲を叶える、之が幸せだし・・・幸福につながる道だと印字ているし・・・その為には、耳障りの良い、言動で・・・誘導・得る方向に成る・・・勿論、汗を流し、努力した結果と違い・・・他から施しを願っている事に成る。

施しを受けやすい、ポジションを狙う事成るし・・・それがレベルが高いポジションと思っている。

レベル差を大きく感じ入る世間と言う事にも成る。恨み・妬みが増大する社会とも言える。

要は、汗を流さず・・対価を得る・・之が幸せと思っていると・・・「隣の芝はよく見える」諺の様な価値観に成る。

日頃、保守管理等々の、下働きをしていると・・・奇麗に保つ努力も解るから・・単純に良いとは感じない・・・逆に大変だな~~~と成る。
この部分も、各自の価値観に成る・・・・勿論、経験が一番、身になる事に成る。

現代の日本国は、大陸系の一神教的、価値観が蔓延してきていると私は危惧すると書き続けている。

多神教文化の日本・・・色んな神が居ると成るはず。下働きの神も居る事に成る。
要は、色んな価値観が有るから、社会が潤滑に動くと言う事に成る。

しかし、唯物的に得る事が、目的と言う価値観に染まれば・・・当然、一神教的世界に向かう・・・大きな大樹が一本と言う世界に成る・・・その陰で寄生虫として生きる人間の姿に成る。
しかし、人間の為に虫と違い、頭が良過ぎる・・・遠くに有る大樹が良く見えたりもする。
又・・今寄生している大樹が、隣の大樹からの圧力で、借れそうになると解れば・・・中には、隣の大樹の抹殺を願う方向にも成る。

一神教の怖さは・・・規制している大樹が・・・世界に一本しか認めていない部分・・・他に木が育つことが、寄生する大樹の危機に繋がると考えている。

又、何故、この方向に進むのか????・・・・寄生虫の立場なら・・・当然、寄生する大樹が、美味しいか???・・・永遠性があるか???・・・等々の、損得勘定で考える。結果、信仰もこの様な、損得勘定で改宗する人も居ると言う事に成るし、この傾向性が強いか弱いかが、その集団の特性と成る。

その為に、誰しも解ると覆うが、単純な己の損得勘定だけの価値観の人は、簡単に改宗が出来る事に成るし、又、それをネタにいた布教活動等も有ると言う事に成る。

本来、国と言う存在も、大樹的な部分が有るし、その様に考えている人も多い・・・

この大樹の集合体が・・・世界の国々に成る・・・・勿論、大樹も色々ある。

又、国の中にも色々な、大樹が有る。それが集まり、森と成る・・・しかし、森を認めないと言う、流れも有る。当然、世界も同じで、大樹の森を認めない流れも有る。

この流れが、一神教的価値観に成る。

日本国は、今、紅葉の季節である・・・森を見て、奇麗だと思える環境を持っている。
色んな、木々が、各々に紅葉する、勿論、針葉樹は紅葉はしないが・・そのバランスが奇麗に思える、瞬間がこの季節である。

各々の立場や力で、一所懸命に行きくぬ、結果が、森としての紅葉を創っている。
人間が作為的に、計画したもので無い・・・敵対していても融和が有ると言う事・・・

自然豊かな国・・・四季が有り・・・自然の猛威も常時感じる国が、日本国に成る。
形あるものは、何時か無くなる・・・之も経験で判っている。

しかし、殺伐した環境の世界も有る・・・その世界で、この方向がユートピアと手を上げると、信じる人も多々いる事に成る。

私は、日本人として生まれた事より、自然豊か、良しにせよ・悪しにせよ・・この地に生まれた事に、感謝している。

簡単に書けば、土地に感謝している事に成る。






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