今私の状態、乳幼児からハイハイをしながらヤット歩けるギリギリのヨチヨチ歩きのレベルに成ったと思う。危篤状態、死んだのと同じ状態からの出発・・・生まれて、通過することを再度行っている事に成る。巳年の今年は、脱皮・再生の年と決めて、全力を尽くしたいと思う。透析室等で会う看護士さん、奇跡的な回復と感嘆される・・・・この感嘆を何回も続けてもらいし、それが私にも良い方向だと思っている。今は、見守り介護になっている、出来るだけ己で行なうと言う方向、透析室・リハビリし室への移動も車椅子で自力で行っている、その際、大学病院でも行っていた。元気よく挨拶する運動を始めたし、一ヶ月程が経過、看護士の言葉に覇気が出てきたと思う、精神的・肉体的に大変な仕事と思う、又、私の病棟は手が掛る人が大過ぎるし、見方では奴隷の様に使おうとする人も多い、お礼も言われず、逆に怒られる・・・・この病棟に入院して己の脚で歩いて帰った人を見たことが無いし、別の医療機関・介護施設等受入れ場が無いのか????三ヶ月ルールを無視し、一年以上の入院患者がこの病棟には多い様だ・・・・
周りの環境を受入れ、己のレベルからの出発・・・後悔・悔やんでも意味は無い、反省なら次に続く・・・・過去は全て良い経験と思えるように、今と将来に意識を集中してどの様な言動が必用かを真剣に、勇気を持って心の奥底で考える事に成る。ブログ掲載当初の、見栄を春、自慢話や勝つためのブログで無いと書いている。「絶対に負けない為のブログ」「耳が痛いと思うが、絶対に言い残したい爺の能書き」この指針を己で示しているので、私は何が何でも負けるわけにはいかない・・・当然、死は避けられない、死を負けとは思っていないし、当然の事と捉えている。生きて居る間勇気を持って挑戦を続けること、此が出来るのが幸福な人生と思っている。看護士さんが感心されていいたのが。奇跡・奇跡と看護士が言うので、「奇跡は祈っても願っても運でもどうにもならない」「奇跡は当然起すものと思って取り組む事」と言うと、驚かれる、医師が何人も寝たきりか、ギリギリ車椅子の介護の手が必用までしか回復出来ないと言われている。此が一般的な症例で言われているなら、変わり者の私は、違う可能性も有る。要は己は普通でない、俺は俺という思いが強い・・・結果、病棟内で浮いている、場違いの人間になっている。病人のようなコスプレはしない・・・病だからこそ、元気よく言動を起さないとと思っている。しかし補どんどの人が、病人コスプレ、それも重傷を演じてあるとしか思えない・・・
現代、何度も書いているが利を得ようとコスプレをする人が増えている。被害者コスプレ・・・弱者コスプレ・・・「おどおど」に見せて、本音は利、お金を毟ることに向っているように見える。要は、女々しい方が得する方向で、それを支持する人が多いなら、男も女々しい価値観に成る。「おどおど」の対義語は「威風堂々」に成る。威張るという意味でっない・・・他のために死守できる人に成る、私もこの様になりたい、微力で気付き難いが、己で出来る部分は確りと責務を果たそうと思っている。
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