先のブログにも書いているが・・・集団を維持し、事を進める・・・この難しさが有る。
要は、手段を構成している・・人のレベルで決まると言う事に成る。
仮に、小学校一年の教室で・・・東大の講義と同じく・・哲学等の講義を行った・・・教室の維持が出来るか????・・・退屈しないで、その時間を耐える事が出来るか????
当然、教室に居る、人のレベルに合わせた、教え方が有ると言う事に成る。
動物的、脳を刺激した・・指導が・・・良いと言う事に成る。
例として、美味しい食べ物と不味い食べ物・・・どちらが良いか???と質問したら・・・美味しい食べ物が良いと言う・・人が多い集団の中で・・・良いか悪いかは美味しいと言う、一つを基準に考えるのは、問題が有ると、言う人間が居るかに成る。
この美味しいと言う問いは・・・当然、各自で違う・・・A君は甘い物・・・B君は辛い物と変わっても不思議でない・・・・しかし、誰もが美味しい物が良いと言ったと成って・・・当然、A君は自分が美味しいと思える物を、Bi君に勧めた・・・B君が喜ぶ姿を予想しての行動がだ・・・・B君が嫌いと言ったら・・・当然、A君は????に成るし・・皆、美味しい物が良いと言ったのに・・・私が嫌いなものが良いと勧めた、有りえないともなる事をイメージ出来ない・・レベルと言う事に成る。
レベルが一緒でも・・趣向が各自で違う・・・この部分をイメージ出来ないレベルが有る。
しあし、集団を維持する為に・・・個人の趣向さえ、変える・・・方向性も集団には有る。
皆が、甘い物が好きと言っている・・・自分は辛いのが好きだが・・・異端に成り集団から疎外される可能性を危惧すると・・・自分の趣向も変えて、甘い物が好きと、口から吐く場合が出て来る。
当然、この様な個々の趣向を認めにくい集団に属すると・・・結果的に、全体の趣向に合わせる・・生き方に成る。
勿論、この全体の趣向・価値観等々が・・・人間度が高く・・民度が高い集団なら他への問題にもなり難いが・・・
この部分が低いと・・・他の集団との勝ち負け論に成り・・・我々の趣向が正しいと集団同士の争いを生み出す。
一番怖いのが・・集団と個との争い・・・・当然、借り負け論で言えば・・唯物的には個が負けるのが当然と成る。
負けたなら・・・お前の趣向が違うと、認め反省せろとなる・・・之を集団側の個々の個人から見ると・・仮に、俺も本心は同じだが、若し、この部分が知れたら、今目の前に居る・・負け犬同然のアシライを受けている、現状と見て・・・絶対い知られたくないと、振舞う事に成る。
原理主義の、原理の中心に、自ら進みだす・・・人を創り出している事にも成る
私が怖いと言っている部分はこの部分に成る。
私の場合、母親から。出来るだけ。歳の多い人と付き合え・・又。多々の苦労をした人と縁せよと、言われていた。
理由は、己のレベルを変化させる為には。この部分が良いと言う事を母が知っていた為だと思う。
意見が違い、叱ってくれる人・・・褒める人等求めるなが、母の口癖・・・男なら、男気を出して・・・己が一番嫌で怖い・・人に縁せろと言っていた。
勿論、私も若い時は、同じ価値観・同じ位の年齢・・・共々に同じ趣向等々で盛り上がり・・・何時も一緒に過ごしていたが・・・私の現実の部分・・・生活の部分で、親が商売を倒産させたと成ったら・・・私の周りに何時も居た人達が一気に居なくなった。
残ったのは・・・怖い先輩方・・・
しかし、この先輩方が居たので、逃げ出したい私に叱咤・叱咤・・・結果、逃げずに10年程前に、一家・家族として。完済する事が出来た。
之も、私を見棄てずに、叱咤してくれた先輩たちのお陰だと、感謝して居る。
勿論、未だに叱られる・・・怖い・・・一度も褒められたことはない・・・しかし、怒られると解っていても・・・先輩たちに合いに行く私が居る。
還暦に成りますと言っても・・ヤット一人前に成る・・・之からが、世間に対して何が出来るかの本番と言われる。
勿論、それまでに何を学んだかに成るし・・・私は60年を要して・・一人前に近付いたと言う事に成る。
之が意味する事は・・現状は半人前・・・発展途上という事に成る。
子供と言う事にも成る・・・大人としてヤット・・何が出来るかに成る。
要は、体は大人・高齢者に向かっているが・・・・知識や知恵の部分は、子供と言う事に成る。
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