私は、仕事もこの業界に入ったのが23歳だったと思う。今日の日まで数えると40年この業界に居たことに成る。この間、家族を支える事も出来、独立する事も出来、父の倒産での債務、此も現実的言えば我家の債務、当然、己責務・・・家に住む子供以外、自己責任と思い、取り組んだ結果、父が亡くなる最終返済が10年前に出来たし自己資金で15年ほど前に事務所も建てることが出来た。屏風は広げすげすぎると倒れるを、心に刻み、己の分以下に広げる、此をモットウニ頑張った。父が「石の上にも三年」とよく言っていた。社会に出て、10年間の私は、石と言うより剣山の上に座って耐えて、闘っていたと思う。石とは、冷たく固い、その上に座り続ける難行になる。しかし、時間が経てば、石も体温で暖まり、身も成れ出すと言う意味になる。環境が石程度が普通なら、私は、普通以下だす多くの責務を背負っている、結果として、剣山の上に年数も多く10年必用だったと言う事になる。取りあえず、我一門の負の宿業は精算できたと考えている。以前も書いているが、我一族、長男に問題が起きる家計・・私が初めて、今までは生き残っている。直系子孫の長男に出ていた現象・・・私の長男の実子の男の子、離婚して別姓になっているが、事故等起しているが、無事、生き残っている。次男の実子二人の息子も、すくすく育っている。三男の息子二人も同じで有る。
この流れが三代続けば本当のものになる。
この様な考え方・価値観は古いと思われ、今の世界の潮流に乗ることが正しいなら、宿命・宿業から逃げる、自業自得も無視する。己の汗を流したより対価を求めるし、得れることが良いという社会に成れば、私の様な生き方、価値観は馬鹿にされ淘汰されると思うが、何故か生き続けている。捨てる神も居る・拾う神も居る。当然私はゴミレベルに成る、捨てるのか???拾われるのか???人々の価値観で変わる、私は日本人を信用している。共存共栄の思い、相互扶助の精神が有ると信じている。これが無く・・自己中で、己最優先・・他は偲べ奴隷と思う価値観、此には否定したい、しかし、先に書いた主体主義、北朝鮮の価値観と書いているが「自主・自立・自衛」この三題目を聴いて、耳は???と成らないし、当然・理想と思う人が多い・・・しかし、先のブログに書いている様に、人は集団の中で生きる、その為に、何が必用かに成る。自主・自立・自衛が個人で確り出来る人だけの世界が有りえるのか???出来ない人が殆どだと思う。其れをカバー・サービスするのが集団と私は考えている。しかし、その様な人を排除したり、利用したりする方向に世界、特にアメリカが向っている。日本国は、戦勝国の連合国、特にアメリカの意向で出来た法律・憲法になる。西欧列強が理想の方向性、しかし、其れが出来ないのが、押しつけた国々で有る。
日本国まで、世界のグローバル化という流れで金太郎飴の一個に成る必要も無い・・日本という姿・形を示し続ける、だいじだとかんがえている
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