日曜日の今日は、初七日の法事が有るし、今回は多い・・・
私は個人の立場と・・・〇〇家の名代としての立場がある。
家を会社として考えると、意味が解り易い・・・
会社で、社長が居なければ、専務・・・専務が居なければ、部長と・・・会社の名代が必要に成る場合が有る。
家と言う単位の集団、之が最近崩壊しているし・・・又意識が無く成って来ている。
私の場合、甥の立場も有るし・・・・〇〇家の名代の立場も有る・・・どちらを優先するか、この部分の考え方が必要に成ってくる。
田舎は、特に、家の家長の名前で、事が進んでいる・・・我家の場合、父の名前に成る・・・勿論、父は健在だが、動けない場合・・・・誰かが父の変りが必要に成る。
この様な部分は、社会の常識となっていたが、最近はこの部分を知らない人も増えているし、全てが法律等で記載されている、意外は非常識と思っている人も増えている。
家長の代わりを長年続ける・・・之も現実には有る。
簡単に書けば、父の借金を、肩代わりして返す・・・之を当然と思っている人も居る。
しかし、この様な価値観の人に多いのが、当然だから、証拠に成るものを残さない・・・・父が困った。イコール、家が困った・・・だから、家の一員として当然の事をした程度で考える人が多いが・・・・
之が、最後の遺産問題に成ると、ネックに成り出す。
我家も同じだが、車の代金を結果的に払ったのは????・・・・又、税金を払ったのは???・・・・等々が名義人と違う場合が有る・・・・しかし、車の持ち主、権利を持っているのは、厳然と固定化されている。
結局は、人の善意が今の社会では、評価されない、方向に成っている。
当然と思うことをしても、悪くなる事が有ると言う事・・・・
難しい・・・・時代と言う事・・・・
心使い・・・之も、死語に成りつつある。
結局、行動に対して、意味が見出せない時代に成れば、意味に繋がる行動しか人はしなくなる。
悲しい時代と言う事かもしれない。
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