言葉的に民主主義と、我が国は思っている国民が多い・・・
民主主義????と聞くと、国民が主権と言う人が多いが・・・国民とは???・・日本国に国籍が有る・・・人・個人に主権が有ると言う事に成る。
主権とは?????統治する権利に成るが・・・統治している部分の、全ての責任を背負うと言う意味も有る。
誰が、当然、国民が・・・之が、民主主義と言う事だと私は考えている。
その為に、個々の個人が、確りした、義務と責任を遂行する事が前提に有るし、だから、権利が主張できると言う事にも成る。
しかし、之を、家庭に置き換える・・・・家族に属している人が、個々に責任と義務を果たしているか????
当然、幼い子供も居る場合も有るし、人の手を必要としている人も居る。
幼子としての、責任と義務を果たしている場合も有るし、そうでない場合も有る。
それを、総合して、一軒の家族としている為に・・・家の家長的立場の人が、重い荷を背負う場合も出て来る。
本来、個々の人が、責任と義務を全て、行っていれば、背負う立場は出てこない。
しかし、民主主義は、之も個人の責任と、成っている。
民主主義と書くと、次には社会主義が出て来る。
之が、意味する事は、社会が主権者と言う事・・・・集合体、之も大きな方向に向かう・・・社会全体で、義務と責任を果たしていくと言う事・・・・
社会の総意が、問われる事に成る。この世界は、社会に順応する事が求められる。個が無視されやすいと言う事に成る。
何故、この方向に向かうのか・・・要は、先に書いた、小さな集団・・・家庭でさえ・・背負う立場と、手の居る立場とある。
背負う人が居ても、背負いきれない物が有るなら、社会全体でと成る場合が有る。
日本国も、現実には、この方向に向かっている可能性が有る。
民主主義と言っても、個人の権利だけを主張する・・・・・義務と責任は主張しない。
何故、この方向に成るのか、一人一人が、端的に弱いと言う事に成る。
義務や責任は背負いたくないが、権利は主張したい・・・この様な人が増えるなら、誰が、負を背負うのか????・・・居ないから、漠然とした社会に責任と義務を押し付ける方向に成る。
一人一人の人民の意識が低いと言う事にも成る。
誰しも思うが、他所の家庭、勝手に処理してくれ・・・之が本来の姿だと思う。
しかし、それが出来ないと、大きな集団、社会や国を頼る・・・之は、最後の手段と思うが・・・之が最初の成る世界に成れば、社会主義的だが、現実には強権的、独裁方向に向かうのも、理解できると思う。
権利を主張するだけで、それを社会に要求する、それを全て叶える事は不可能・・・どうしても、力を持つ、側の尊宅に成る為、利権と力が集中しだす。その為に、独裁方向に成る。
仮に、社会が無いと言う、大昔、縁あって、女性と知り合い・・・子供が出来た・・・一つの家族と言う集団を、維持する為に・・・家長たる立場は、頑張ると思う、この頑張りが足らなければ、消滅するのが自然の摂理に成る。誰の責任でない、己の責任と言う事に成る。
この、個々の家族が集まった国が、民主主義と言ってもよい・・・勿論、家族毎に、価値観や風習も違う・・・この違いを、認めあえる世界が、民主主義だと私は考えている。
若し、この最小単位が、社会に成れば、社会の価値観や風習に先ずは、属しなければならないから始まる。多様な価値観を認めない方向だし、それに属していれば、当然、家族として考えれば、自分は幼子、社会の家長たる立場が手を貸すものと成って行く・・・
若し、貸さなければ、社会が悪い、社会のリーダーが悪いと成る世界にも成る。
無人島で一人で住んで居る人にも主権が有る・・之が民主主義の基本に成る。
しかし、社会に順応できなければ、人とは見られない主権が認められない、世界が、社会主義ともいえる。
若し、日本国がこの方向に向かっていると思うなら、日本国も社会主義に向っていると言う事にも成る。社会や集団に、染まる事が、義務と言う世界に成る。
当然、染まらない人間は、人として認められない世界に成る。
主義とは、主権の主張と思うが、権利には、当然、義務と責任も付いている。
この部分を放棄している主義は有りえないし、単なる我儘と言う事に成る。
個人主義も、自己完結で、人に迷惑を欠けないなら、良いと思うし、価値観も認められる。
しかし、個人主義と風潮している本人は、私の目からだと、自己中心主義者に見える。
問題等々は、外に責任転換している。
何度が書いているが、私は個人主義者だと思う。しかし、自己完結出来ない事も解っている。だから、家族を作っているし、人を育てなければと思っている。
出来るだけ、小さな単位での自己完結を、模索している。
この部分が、他人様に出来るだけ迷惑を欠けたくない・・・この思いに繋がっている。
若し、この部分を放棄し、個人主義と風潮して、本質は自己中心主義者なら、社会に依存する事に成る。怖い世界に成る・・・
表面上は、民主主義だが、現実は社会主義・・・本質は一部の権力者に支配されている独裁を望んでいる事に成る。
この部分は、昔、アラブの春と言われる、民主主義の方向性に向かうかと思われる、革命と言うより、事件が有ったが・・・結果は、元に戻る・・・理由は、民主と言う、意味を理解していない、誰かから恵まれる、これが生きる目的、又、得する生き方と言う価値観が底辺に根付いている為に成る。
日本国も、成人年齢を18歳に向かっている・・・理由にこの部分が有る。
子供としての大きな社会は、家庭に成る・・家庭で保護され恵まれる環境を当たり前と思っている・・・当然、義務や責任等々、気付く訳が無い・・・
自立した一人に人間にしなければ、民主主義は出来ない。
生きる為に、社会や人に依存する、これが正しいと言う価値観に染まれば、民主主義は崩壊するし、それが意味する事は、独裁的社会に向かう事に成る。
裕福に成れば、特に、この方向に進む・・・・親は多大に責任・義務感を感じて遂行する事を当たり前と思う・・・それで何を創っているのか、甘え切った、子供に成る。
又、社会も子育ての正しさ、普通を当たり前の様に風潮している、その様な環境を与えた結果、甘えた子供を、社会に排出する事に成る。
自分の弱さを社会の責任に転嫁・・・之が、何を産むが、社会の崩壊に成る。
結果、強りリーダーの到来を切望する、これが独裁者に成る。
親として、子供にどの程度与えるか、それは、各家庭の勝手で良い・・・・
社会が基準化した子供を育てているのか????・・・・・私は生き抜く力のある子を育てたいと考えている。
0 件のコメント:
コメントを投稿