2019年6月2日日曜日

色んな要望・・・

私は・・・父親として・・子供として・・多々の立場で・・・色んな要望に応える・・この責任が有るが・・・現実にできるか????・・・正直、難しく感じる。

逝った母が言っていたが・・・・子供に、期待・要望をする。之は、親や祖父母・親族等々の色んな人もする部分に成る。

私は、兄妹、二人・・・・当然、男は私一人に成る。
この様な、期待感等々を、感じるし・・・若い時は、この部分が嫌で・・距離を取るために、遠くへの就職を望む・・青年であった。

考え様では、期待される・それが要望に成るし、義務に成る・・・・之が嫌だからと言う、発送・価値観に成るが・・・之で、物事を組み立てる方向に成る。

若し、故郷を捨て、遠くで暮らすなら・・・先ずは自分、この部分を注視すれば良い・・・生活が出来る様に成れば・・・結婚・・・之も、単純に好きだからと成る。
結婚すれば、子供が欲しい、この部分も・・・例とすれば、ペットが欲しい程度の思いが強く手に成る。

しかし、ある年齢に成ると・・・・親として等々の、社会的、責任を気付く・・・又、「生老病死」が有る事も、気付く・・・・

結果、都会に住んでいても、子供に、先に書いた、多々の期待を、持つことに成る。

逝った母が言っていた。子供にも個性が有る。向き・不向きが有る。
又、色んな人からの、期待は当然ある。

之を踏まえて、一人の子供に背負わせる・・・出来るか????
先にも書いたが、私自身は出来ない、逃げたいと感じた・・・・

要は、容貌・期待が大きすぎるからに成る。

母は言っていたが・・・家という単位で・・・家の責任・義務が有る。
当然、人が背負う事に成る。

社会に貢献できる人も居るし、育てる必要が有る。
親族・家に貢献できる人も居る。
地域社会に、貢献できる人も居る。
何度が、書いているが、色んな守を、独りで行う・・・簡単ならよいが、難しく感じるし、その部分を、行って、初めて、人なら・・・・人以下に成る、方向性を親が作るもので無いと、私は考えている。

子供の個性・・・之も、成長しないと解らない。

この様な、不確実性な部分に・・・大きな、期待や要望をする・・・有りえないと考えた。
子供にしてみれば、勝手な期待や要望に成る・・その理屈に道理という部分を使う事に成る。

多々の要望・期待を、感じる、真面目な子供なら・・・自分の力の無力さに気付くし、処理能力を超え、脳停止状態を択ぶ、人も出て来る。

出来るだけ、子供を持つ・・・・この方向を目指した訳が、この部分を私は感じていた為に成る。
時代と共に、多々の期待・要望が増えている。当然、優秀な子供ならよいが、子供を持つことは、博打に近い・・・・特に、遺伝が有るので、駄馬の親からは、サラブレットは生まれない事も解っているので、多くの期待・要望には、数で対処に成る。

母は、優秀な子は、世間様にくれろと言っていた。
しかし、社会貢献だけでも、片手落ち・・・・親を守する、子も必要・・・

簡単に、書けば、親が、損得勘定で・・・・良い方向は求め過ぎる・・・悪い方向は求めない・・・この様に成れば、子育ては負と考えれば、子供の数は少なく・・・・しかし、子供に対しての、期待感は多く・・この方向に向かう・・・

当然、期待、見栄が表面化する。結局は、親元を離れて、遠くに行く、子供を創っている事に成る。

人の、本音の部分、無理して恩を与えた・・・・その子が・・・去る・・・しかし、親の本音の、思いは言えず・・・・寂しい思いがすることになる・・・
体が強い時は、寂しいでよいが・・・人の手が必要に成ると・・・恨み・妬みの心が出て来る。

勿論、この様な状況が有るから、介護医療等の整備をされたが・・・・運用の際、子供が居れば、当然、育て方の問題、親の責任と、後回しに成る。

親族・家族が居ない、人の方が、国の保護政策に、一番、良い事に成る。

若し、損得勘定の、価値観が、強くなれば・・・この一人の方向が得だと成って行く。

しかし、人としての、責任・義務を放棄できない人も居る。
親族だからと、必死に守る行動をする、世間様に迷惑を掛けない・・・無理するから、問題に成る。

私の、従兄弟にも、困ったチャンが居る・・・しかし、従兄弟が動いて居る。
親は、世間様に・・・この部分が強いし、我が子・・と・・いう部分も強い・・・
しかし、兄妹が処理すれば、立派な弟さんが居られる等々で、行政は動かない・・・

経験上・・・行政は、親等で判断している様だ・・・・親等が四親等を超える位から、他人と言う、判断に成る様だ・・・・

他人が動けば、行政も動かざるおえない。

少子化の為に、子供の数が少ないが・・・期待や要望は増えている。
一人に背負わせる、重さで、潰れる人も出て来る。

お金を例にすれば・・100万で潰れる人も居る・・しかし1億でも潰れない人が居る。
この部分は、人の個性に成る・・・勿論、個性も教育で変わる部分に成る。

重荷を背負う事が出来る、子育てが昨今では必要と思うが・・・私が見える範囲は、逆の個性を創る、教育をしている様に見える。

本来、子育で、この社会的、責任・義務に関する部分は・・・父親が教えると考えている。
しかし、子供を見ると、父親の影が見えない・・・事柄から逃げる、之が特に繋がるという、価値観の子供が多い・・・・

私の子育ては、世間の泳ぎ方・・・当然、底の濁っている、ドブが存在する事も教える。
又、子供の分も、教える・・この関係で、何処を泳ぐかは、子供が解る・・・・
ドブを泳ぐ、宿命と気付いたら・・・当然、上を求める。

基本のポジション・・・宿命が解れば、その状況に成っても、普通だし、当然と成る。

親が親なので、子供も子供・・・しかし、人としての「生老病死」は・・誰しもある・・・この部分を理解させる・・その為に、親族で起きる、色んな部分を見せている。
三流のレベルでも、趣旨する部分が有る。その為に、数が大事に成ると・・・

しかし、結婚すれば、他の価値観との、バランスに成る。
その為に、今度は、若嫁の、教育に成る。

しかし、最近の人は、聞く耳を持たない人が多い様だ・・・・・
その為に、若嫁に耳障りのよい、事柄で話す・・・里の親に等々と・・・里に奉仕する。この部分は、よく聞く・・・・逆に考えれば、私達の家も里に成るが???・・・此処には気付いていない様だ・・・

里の親が喜ぶからと・・色んな、行事を行う・・・百花や節句・・・

一家の財布を握っている、若嫁に・・里をよくせろ・・・喜ぶのは当然と成る。

之も、博打に近い、行動だが、五人も子供が居れば・・・当たる事も有ると思う。



0 件のコメント: