絶対数が多い・・・之を一般には普通という・・
普通が良いなら・・・
この絶対数が、多いと思える人達の振舞いを見て・・・・良いと見えるか???
私には、優秀な消費者に見える・・・・結果、販売側は、消費者の欲をソソル、事柄を風潮する。
この流れに乗れる、事が、良い事と成っている様に見える。
販売側の風潮に乗れない・・・之を不幸と感じる、価値観も有る様に見える。
結果、買える、財力が、幸不幸の基準と成っている様だ・・・・
この一流の消費者を創る流れが、結果として、国の政策にも影響しだす。自分の欲の赴くままに生きた、結果、孤独・・生きれない・・・国の保護政策の加護に成る。
しかし、人なら、当然、人としての、義務や責任も感じる人が居る。
簡単に書けば、対外的には普通に見せて・・・陰でこの部分を、行う事に成る。
一人の人間が、方向が違う、二つの事を同時にする。それもバランスよく、難しい事に成る。
そうすると、相反する価値観で、判断する事に成る。消費者として、一瞬幸福感を感じたが、直ぐに空しさが襲う・・・
他から見れば、見える部分は、幸せと成る・・・物が増え、立派に成っている。
しかし、同時者は?????・・・・
この部分が、解り出せば・・・・・普通の生き方が、幸せにつながる????・・・疑問が出て来る。
仕事を見ていても・・・必死に額に汗を流し、我武者羅に働く・・・暇で時間を持て余している・・・この二つを見た場合・・・私は体はキツイが、我武者羅に働く、これが幸せに見える。
しかし、対価の部分を見れば、暇でも多く稼ぐ方が良いとも思えるが・・・・先に書いた、優秀な消費者となるし・・・・この生き方が、幸せだとは思えない。
絶対多数の普通から・・・距離を置く、人達が、少数派と言われる。
普通を目指す、これが幸せの基本と成れば・・・少数派は、不幸を基本と考えているかに成る。
しかし、幸せと求めて進む道が違うという事が、本質だと私は考えている。
同じ、価値観だが、方法が違う・・・之が少数派と私は考えている。
大枠で考えれば、同じ消費者だが・・求めるレベルが違うという事に成る。
考え方を少し、広げると、消費する、これが幸せと思わせている。権力側の人が居れば、その様な、普通や少数派も、私の目からだと奴隷に見える。
この様な、流れに、異議を感じる、人が、異端となる様だ・・・
本当に、この様な流れが、人の宿命なら、人とはアリと変わらない事に成る。
勿論、生きる世界は、この価値観の世界に成る・・この価値観に染まって、生きた結果、死ぬときに、悔いが残ろないのか????
若し、悔いが残ると、思えたら・・・宿命でさえ、変える、努力はしたかに成る。
普通の生き方が、幸せと見え・・・感じるなら、目指す事になるし・・・
違うと成れば、他を模索する事に成る。
各自の勝手に成る。
人は、何の為に生きるのか???・・・・何の為に、生を受けたか???・・・この疑問が私は、続いている。
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