人と話す・・・又聞く・・・・この事で、色んな事を学んでいる・・・・
対話が人を成長させると言っても良いと考えている。
しかし、日本人・・・中々、本音は口から言わない・・・又、迷惑に成る。恥に繋がる部分は、出来るだけ出さない様にする・・・・この特性を知っているなら、当然、察する之が必要になる。
洞察力が必要と言う事に成る。
この部分も、人との対話を重ねる、経験で、高めるしかない・・・
文章にすれば、「大丈夫」・・・しかし前後や、顔色、又その人が抱えている環境等々を加味して考えれば、大丈夫でない場合も有る。
人は、配慮や強がりと言う部分も有る・・・・
例として、崖の淵に立っている・・・この後の行動を心配して、大丈夫か??と尋ねて・・・返事が大丈夫・・・・何の処置もしないで、その人が自殺した。
機械的・又ロボットなら、この様に成ると思う・・・・
しかし、人なら、その雰囲気等々も加味して考える・・・しかし、この部分を考えない方向性に現代は進んでいる。
結果、大議事とも話し機械が有るが・・・・声を出さないなら、当然、問題が無いと考える。之が現代では普通に成りつつある・・・本来、声なき声を聞く、この聞く側の器だと私は考えている。
結局は、経験が無い・・・・色んな価値観・環境等の、経験をしていない・・・・有るレベルの環境・価値観に居続けている為に、他のレベル・価値観を創造できない、この様な人を、現代では何故か優秀と言われる、立場のポジションを与える、方向性に成っている。
その人の価値観以外・又環境以外を、配慮して想像する之が出来なければ、当然、教える為に、話す、声を上げる、之が大事に成るが・・・・之をしなければ・・・その人は裸の王様と同じ事に成る。
之も、同じ価値観、同じ年齢、同じ環境の人だけしか、話す相手が居ない、之が現代の為に、仕方が無いと言う部分に成る。
この方向性で、意識が固まれば、他とは壁を作る事に成るし、悪い意識が出れば、敵と言う方向に成って行く・・・
一つに纏まり烏合を組む、グループと言う事に成る・・・・
しかし、人は変化する、予期せぬ病気もする・・・この予期しない事が、人で違い、結果的にグループの維持も難しくなるのが本来に成る。
広い年齢層と付き合う・・・・色んな階層の人と付き合う・・・之が見聞を広げると言う事に繋がる。
又、人間なら解る事だが、先人・先輩が今後の私の姿、この様に考えれば、その人達の話も確り耳を傾ける、之が自分の将来に役に立つ事に成る。
私は、環境が違う、価値観が違う、結果考えたが違う、之が意味する事、自分は如何するか????当然、学ぶ為に、対話が必要になると考えている。
しかし、最近の風潮は、考えが違うこの簡単な言葉で、切る・・・除外する之が、一般的に成って来ている。
この様な部分も、色んな処に属して、感じた部分に成る。
私は、この様な生き方も有ると、人様との話で、思う様にしている・・・・絶対に私は成らないとは確信も無い・・・大変な状況に成られている人達と話す・・・誰しも有りえると考えている。
若し、成らない、絶対に自分は成らないと、その様な人を除外したりする、命が有るなら、若し自分が成ったら、当然、死ぬ事しか後は無い事に成る。
人、一人前に成りたいと考えている、この部分は、逝った母が言っていた、子守・親守・親族守・地域守・・・・・等々有って、最後は、先祖守、之が出来て一人前・・・・この部分は当然の部分なので、している等々、口に言う部分で無い・・・
一人前として、行動・発言をしているなら、この部分を遂行し続けている状態での発言に成る。
優秀や一流と言う部分は、この様な部分を含んでいるという前提が有ると言う事・・・・
之が無ければ、当然、大口を吐いていると言う事に成る。
昔は、この様な部分を遂行していない人を、半人前と言っていた・・・その為に、結婚・子育てを焦る気持ちも有った・・・・・勿論、親守・地域守・親族守・墓守・・・生まれ故郷で生活し、又長男なら、この部分は、当然の行っていると言う前提に成る。
しかし、最近は、この部分は無く成っているし、言う人も居ない、指摘する人も居ない、之が現代に成っている。
勿論、都会等々に就職した場合は、少し、違いが有るし、昔は親元を離れる、これは長男以外に成っていたので・・・指摘部分も減ると思うが・・・・
テレビ等々で、流れている、優秀で一流の人達の言葉に、この様な部分を背負っていると言う雰囲気がまるでしない・・・・昔なら、半人前の、人間が何を言っていると成るが・・・現代は、これを言うと、パワーハラと成る・・・
又、古い、有りえない、常識はずれと思われる人も多いと思うが・・・
現実に民主主義の選挙・・・・選ぶ高齢者には、この様な部分を強く考えておられる人も多い、
中には、自分の親を、粗末に扱って居て、人様の為に頑張ります等々言っても、この様な人は信じない・・・・
高齢者対策を真剣に取り組みますと言っても、親族等の伯父・叔母とも疎遠、この様な人を信じれるか・・・
昔、国会議員に、少子化対策を真剣に考えると言っていた、女の代議士に、同僚代議士が、先ずは、貴方が結婚することと、言ったら、大きな問題に成っているのが、現代である。
要は、選ばれて代議士に成っている・・・・その時が大事だと言う事・・・・
当然の部分は、誰も口に言わない・・・その為に、この部分をしていなくても、見えない事に成るし、第三者の評価に当てはまらない・・・
仮に、代議士のプロフィールに、親は看て居ない、墓守もしていない・・・当然、地域奉仕も行って居ない・・・親族も疎遠である・・・しかし、立候補するので今後は頑張ります、これも大事に成る。
現代はこの様な当然と思われる部分は、していなくても、プロフィールに書かなければ、解らないし、当然、一流だからこの様な処は当然、行っていると思う・・・之も、誘導と同じ・・・
一流・優秀と言う、イメージが、無意識に誘導する事に成る。
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