2018年11月5日月曜日

比べるから、不満が出る・・・・「こんな家に生まれてきたから」・・・・

幼い頃・・・私は、ご飯には、筋が有ると思っていた・・・・保育園に行くと、ご飯だけは、自宅から持って行く・・・・この環境で、周りと違う事に気付いた・・・田舎、殆んどが農業・お百姓さん・・・当然の様に白米をご飯と言っている。

小学二年まで、頂いていた、ユニセフの脱脂粉乳・・・私はミルク=牛乳と思っていたし、とても美味しいと思っていたが、周りは本物の牛乳の経験が有るのが、こんな物、飲めないと言っていたので、お代わりして、何杯も飲ませて頂いていた。

当然、水もヒネルとジャーでは無い・・・井戸から汲み上げて、使う・・・之が基本・・・
風呂も自宅には無い・・・共同風呂が当り前と思っていた。

終戦後、20年以上経っていたが、この様な生活環境が普通だった。

勿論、現代の環境、考えで行くなら、大変苦労した事に成るが、何故か苦労と言うより、私は懐かしいし、幸せだっとと感じている。

子供も当然、稼ぎ手、農家なら当然、働く・・・私は農家で無かったので、新聞配達をしていた。

之を、虐待と現代なら言う可能性が有る。

親の養育、義務違反等々に成る可能性もある。

学校で、先生に叩かれ、それが親にばれると、今度は親から、先生以上に叩かれる。家の恥さらしが~~~と・・・・

この様な環境で、きつかったか????楽しかったし、幸せと感じる。

解ると思うが、比べる・物が、違えば、感じ方も変わる。その時代の私の地域では之が普通・・・だから、不幸とは思わなかった。

肉を食べる・・・盆・正月・・・・又肉=鶏肉・・・この様な感覚だった。

一度、書いているが・・・昔、捕虜収容所の所長が、戦犯と訴えられた・・・・捕虜が、粗末な食事しかなく、時には、木の根を食べさせられたと言う、主張で、この様に成ったと、聞いた事が有る。

その所長、国から配給を受ける、食材で足らず、当然、戦局が悪く成る方向、物資が無い時に成る。周りの農村を周り、食材をかき集めて、捕虜に食べさせていた・・・お金は???、聞いていないので、若しかしたら自費かもしれない・・・・当然、ゴボウも有る、このゴボウを西欧人は木の根と思ったらしい、勿論、日本人に比べ、体格も違う、この事は、食料も多々いる事に成るが、日本の規格で、配給・・・・西欧人の価値観で考えるなら、粗末な食事で虐待されたと成る。

戦後、二十年以上経った、時が私の幼い事に成る・・・野菜・・・家の周りに有るもの、ゴボウも高級品、お金で買う、之が高級品に成る。

竹輪を一切れ・・・大変なご馳走である、自慢できる事に繋がる。

この様な環境が、普通だった。

勿論、保護政策も、スムーズに機能していない時期・・・・・大黒柱の父親が、病気で倒れる、結果、母親が女一人の稼ぎで、生活を建てる・・・現代の様に、仕事も無い、言えないような事をして、子供達を守っていた人達も多い・・・・之を不幸、国の有り方が間違っていた等々、思う人も居ないと思うが、これを現代の環境・価値観で判断すれば、国の無策、行政の無策と成る。

日本人は、苦労したと言うか、この様な部分は、なかなか言わない・・・・・簡単に書けば、現代なら草と思える物も食していた等々・・・・しかし、今から50年程昔の、田舎では当り前の様に、有った事・・・・

私の親族に、満州からの引き揚げ者が居られるが・・・数年前無くなった、叔母さんがその時の事を詳しくは言われないが、それでも口から洩れる部分だけを聞いても、現代の感覚なら、悲惨以外に言う言葉が無い・・・しかし、当事者はそれが普通だったし、当り前だったから、それを受け入れて生き残られている。

比べるから、普通が悲惨にまでなる・・・・悲惨だと騒いでもどうする事も出来ない・・・現状を受け入れて、それに負けないと進むしかない・・・

人が生きると言う事は、この様な事だと私は考えている・・・・今を受け入れる・・・勿論、問題も有るし、苦しいが、それに負けないで進もうとする、之が生きると考えている。

私は、基準等々が解らないと、ブログに書き続けている、時間軸が違えば、基準も違う、環境が変われば、基準も変わる・・・・この様に考えている、
しかし、現代の基準は動かない、変化しない、之が基準と考える人が増えている。
この部分が、解らない・・・・

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