2022年11月20日日曜日

泣いている人・・・人で対応を変える・・・

 私は差別主義者と自称している・・・勿論、一般的には差別は駄目だ言われるし、無意識な言動が平等で無いから、自称・・・差別主義者と言っているし、人としては三流だと思っている。

先のブログにも少し書いたが・・・泣いている人・・当然、色んな人が居る。

仮に、若/老・子供/大人・女/男・等々、人も違いが有るし、この違った人が泣いている。それ以外に、綺麗/汚い・実子/他人の子・等々・・・・好みや関係性の部分は、第三者からわかりにくい部分でも、当然、区別・差別を私は行う人と言う事に成る。

結果、人間で無い・等々、異端児扱いも受けるし・・除外・排除されそうにも成る。この現実・現象は平等なのか????差別主義者は、人権も尊厳も認めて貰えないのかと、私の周りの社会に思うことが有る。

勿論、社会の一般こ・常識は、平等が基本に有るとなる。これが事実なら・・蟻とキリギリスの説話も、以前は自業自得となるが・・・今は、蟻が受け入れ、皆で仲良く暮らしたに成っている。これが現実なら、血のつながり、縁のつながり等々、全く意味を成さないし、全然知らない人さえも、私が泣いていると、駆け寄ってきて、「どうされましたか???・・・何かお手伝いすることがないですか???」と聞いてくると思うし・・・将来・未来ヘの準備も必要ないし・・・後継者・子孫を残す等々も、お金の無駄使いになる事に成る。

要は、全ての人が利口な人を目指し、現実に利口な人の世界を目指している。100%が利口な人で構成された社会・・・・あり得るか????・・・私は有りえないと考えている。要は、馬鹿な人の必要という事・・・・

差別は駄目だと、堂々と言っている人達に伺いたい・・・先に書いた様な部分で、区別・差別を本当にしていないのか???

平等なら、他人も身内も垣根が無くなる事にも成る。身内だから・他人だからと言う区別も有ったら矛盾になる。

極端に書けば、己の命も、他人の命も、同じと本当に思えるのか????私は、己の命が大事だし、自己防衛本能で、己を守る方向に強く傾くと思っている。これを自称して口から言っている、正直に己の本性を言っているだけで、不利を感じさせる社会が、私の周りにある。何故か???平等だから???不平等だから????・・・・

答えは????・・・・

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