月末が来た・・・今は、本業も鳴かず飛ばずの状態なので、暇だ!!
今は、家と言う単位も崩壊しているし・・・家族と言う形でギリギリ残っている状態・・・その為に、家を守ると言う観念も無くなってきている。
結果、墓守が居ない、結果、墓終い等々が最近話題に成っている。
之と同じで、人は寿命が有る・・その寿命もハッキリと解らない、今日・今・死ぬかもしれない危険性が人間と言う生物には有る。
要は、「生老病死」から脱することが出来ない生物なので、未来に対しての約束・信用と言うものは、基本的に無いと言う事に成る。
約束・未来に対しての夢も、死と言う現実で終ってしまう。それに対して文句も言えないのが本来である。
若い時、信用して貰いたいと思うなら、最低限の動物・人間としての責任を果たせと、ある社長から言われたことが有る。
今は、私と約束しても、私が死ねば、それを果す事は出来ない・・これが・個としての人間の限界だと言われた。
個人主義に進めば、死の問題を無いものにして行くし、隠す・気付かせない方向に向かう・・・あたかも私は「生老病死」は関係ないと言うスタンスに成る。本来、この様に人間は信用されない・・・しかし、俺は不死身で膨大な力・権力が有る、当然、未来永劫までと言う雰囲気の人に、人は集まって行くし、その人を信じてしまうと言うより、現実には騙されていると言う事に成る。
私も人間として、今日死ぬかしれない、未来永劫に対して約束を遂行は出来ない・・・その為に、後継者を育成するし、グループと言う集団を創る。これが家と言う存在に成る。
家が有るから、人間の私も信頼されると言う事・・・
この感覚で、私は、商売も考えていた。
50年続く企業・商売は稀だと言われる。要は、人間の平均寿命より、短いのが、企業・商売に寿命に成る。
勿論、己の寿命より、長く企業・商売を続けたいと考えれば、後継者の育成が大事に成る。
しかし、家も守れない時代に成った。理由は面倒な事が多々あるからに成るが・・・企業・商売の面倒臭さな、家とは雲泥の差に成るので・・当然、後継者が育たないが、現代だと私は考えていた。
結果、店じまいの時が来る・・・その時、大事・慌てないでよいくらいにと言う思いで、終売を続けていた。
私は、青年期は、期待と可能性が有る。壮年期は若い時に培った信用が有るが、それは50代まで・・・その後は、人様の情で生かされていると考えていた。
今は、還暦を超え人様の情で生かされていると現実に肌で感じている。
勿論、恩義・情と言うものは、各自の捉え方・考え方になる為に、全ての人とは当てはまらないし、客観的に考えれば、高齢者に成り、難病の病持ち・・・他に持病が有り・・・身体にも障害が有る・・このスペックで、人様がどう評価するか????・・・現代の価値観なら、捨てられ・廃棄される立場と言う事に成る。
この立場・ポストの人間が、商売を続け・躍進したい等々、思えるか????・・・私は、原理・道理通りに成るしか無いし、それが普通だと考えている。
しかし、何度が書いているが、捨て・廃棄われる立場の私でも、使って頂く人様が居ると言う事、本当に感謝に成る。
人様の役に立たない生き方等、私は、死んだ方がマシだと若い時、ノイローゼと言われ悩んでいた時に、思っていたし、何度も自殺を試みている。理由は、周りの大人は、自分の為・・・等々・・言う・・・全て、己の為だから、頑張れ・・・死ぬ身の己の為に、意味が有るのか???と問い続けていた。結果、己の為に生きる事は私の場合出来ない・・他の為にと言う部分が最低でも必要と言う事が解った。
波乱万丈だが、幸せで幸福な人勢を謳歌出来ていると勝手に思っている。
何事も、終わりが有る・・・当然、一場の終わり・・全てでない・・・人の終わりも、今世の終わり・・その後・続きが有ると言う事・・・
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