変化が求められている。
時代の方向は良いか、悪いかは解らないが・・・変化しているのは現実・・・
この変化に対応する・・・・勿論、変化が必要に成る。
変化する為には、努力が必要に成るが・・・・この努力が出来るかが、私の問題に成る。
若い時と比べると、変化に対する、対応度は鈍く成っているが・・頑張るしか無い・・・・
何度もブログに書いているが、分相応の生き方をしていれば・・・その人のレベルで、高度が違う・・・
分が低いなら、高度も低い・・・解り易く書けば、机の上の高さが、自分の分なら、机から落ちても、怖さが少ない・・・・勿論、分が高く、スパーマン的な人なら、40階から落ちても、怖く無いと思うと思う。
人により、この高さが違う・・・・
悲惨と言う言葉が有るが・・・・下が見えないのに、飛び降りる・・之を怖いと思い流れでも、追い込まれている状況を悲惨と言うと、私は考えている。
下が見えない怖さと、高さの怖さ・・・之が合わさり、恐怖心が出て来る。
自分の分を知っていれば、本来・高さも解るし・・・その高さも怖くない安全な高さの筈・・・・
落ちても、直ぐに這い上がる事が出来る高さと成る・・・・
本来、人の数だけ、分の種類が有る・・・この分の部分まで、基準化している流れが、今の世の中に成る。
仮に、親の謝金を抱えて、子育て・・・・子供には普通の事をしてやりたいと思えば、何処かに無理が掛かる・・しかし、その努力を、子供はどう思うが???・・・・周りの子供達より、環境が悪いと考えれば、褒められた行動にならない場合が有る。
現代の風潮は、この基準値を、一極に向ける方向性が有る。
この基準が、自分の分を大きく超えているなら・・・・如何するか・・・近付こうと努力する之なら解るが、若し見栄を張れば・・・・悲惨な方向に進む事に成る。
人を管理する側は、人を基準化して、その基準に当てはめる、之を望む・・・之が権力側の価値観に成る。この基準に入らなければ、簡単に除外・・・・・・・と、考えるのは必然に成る。
人は生まれた瞬間から、分が有るし、宿命が有る・・・・
工場から出荷された、商品では無い・・・・
この部分が解らないと・・・私の嫁の様に、分を超える事をする・・・・之を嫁は愛情といっている・・・・
愛情も、努力ですることならギリギリ解るが・・・見栄でする部分では無い・・・・愛情も分相応と私は考えている。
この様な部分が女性と大きく違う価値観かも知れない・・・・
私の場合、母親から買ってもらった物の記憶は殆ど無い・・・・逆に、お年玉を取られたり、バイトした貯金を勝手に使われたりと、現象としては不の部分が多い・・・・しかし、それ以上に母の愛情を感じていたし、それが有るから、母の言葉も確り覚えている・・・逝った母には感謝しか無いと考えている。
母の言葉は、親として正直だったと思う・・・親に成って、初めて解る部分・・・
子供を生み・育てる・・・之も親の目的・理由が有る・・・・勿論、各親で違うと思うが、その思いを子供に確り伝える、之も親の責任だと私は考えている。
母は、親は老いる、その為の子供と、はっきり言っていた。
もっと厳しく・・・子育ての掛かった費用の、何倍返しが子供に出来るか???・・・・之が子供の器だと言っていた。
自分の子供だから器も、予想が付くから、費用を掛けないとまで、笑って言っていた。之が母親の愛情と・・・
この様な考えなら、子供の器でも掛ける費用が違うという事に成る・・・・掛けた子供はその部分、多く、返す・・・この法則に成る。
貰う分、得する部分は、貰いたいと平等や一般的やと、言うが・・・・その分を返す事は考えていない。
之を返す、事が子供に求められていると私は考えていた。
しかし、私の子供達はこの部分を知らないし、考えようともし無い・・・
結局、親が教えていない事に成る・・・
誰しも親が居るから、今が有る・・・・・どんな親でも感謝出来る様に、今の自分が幸せでなければいけない・・・・
人は生まれながらに宿命が有る・・・・親を看取る使命が有る。看取ると言う事は、後の処理をすると言うことも含まれている。
親の全てを知っていれば、良いが・・・知らない事が多々有るのが現実・・・・
私も、母の死後・・・母が組んでいたローン・・・相続人に支払い義務が有ると、解り、支払った。
人助けと、母が組んでいたローン・・・しかし、名義人が母なら、私に責任が有る。
結局・・・最近は、確り宿命と言うツルで・・・・池の底に、根を張っている、ポジションを、不幸と考えて・・・・ツルを切る、之が正しいと言う考えに成っている。
ツルを切る人達は増え続け・・・・池の底を浄化する・・使命を忘れれば、奇麗と思われる世界に浮き草で流れ着く・・・・・・留まっている人が、大変な作業をする事に成る。
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