父が亡くなって、二年・・・法事は数え年で表現するので、三回忌になる・・・我地域では、法事事は、少し早く行った方が良いと言われている、理由は解らないが、色んな意味が有り、監修となっていると思うから、疑問も持たないので、日曜日に家族で行った。
その際、何時も来てくれている、家族と言っても良い、廃品回収業の後悔も参列してきたし、彼が、息子達に色々、教え言ってくれていたと予想するが、普段なら、何もしない、上三人の息子達が香典を包んでいた。
嫁は、息子達に子育てで大変だから、気を遣うことは無いと言っているが・・・・後輩がそれでは??と思ったのか????父親の私とては、当り前の事を、ヤット息子達も出来る事に対して、少し肩の荷が下りた、後輩には感謝している。
二年前の、今日・・・・福岡の地で亡くなった。入院中にコロナに感染・・数日で亡くなった。
駆けつける事も出来ない・・・火葬場で合う事に成るが、袋の中に入れられ、顔を見ることも出来ない・・・可哀想だが、感染症の処置で仕方が無い・・・・
父も、彼の世でどうしているのだろう???と思う。元々が協調性が無い・・・我侭のまま彼の世でも、好き勝手に振舞っているなら、回りの迷惑に成っていると思う。母は同じ墓に入りたくないが口癖だったが・・・その気持ちは良く解るが、私は、血を分けた身、それでも父であるし、確り受けて、守っていかなければ成らないと思っている。
自分の思いが通らなければ、駄々を捏ねる・・・口から吐いたら駄目な言葉さえ簡単に口にする・・当然、悪気があって出ない・・・表現・言葉を知らない・知恵が無いからの言動になる。
父の性格も、環境が創り上げている。ボンボンで育ち、己の思うように成る此が普通と捉えている、しかし、親も老いるし、力も衰える、結果、思うように成らなくなると、親の責任、力不足を攻める意識になるのも解る気がする。それが、父には正義だと思っている。
此を、蛇だと言えば・・・当然、父は切れる・・・血を分けた息子だから私が言わなければ、言動を起さなければと、何時も闘っていた。
結果、一番の敵が私、この様に成ると、不思議に見方を何故か求め出す、家族内にも、それが私の嫁だし、子供達になる。
結果、荒れて暴れたりするが、良い時は、人の良い爺さんに成る・・バカが付くほど人が良い・・・・
この部分が有るから、父の法事にも、息子達が来てくれたと思っている・・・伯父・叔母達は、正直、嫌っていたし、あんな態度をするなら、葬式にも参列しないとまで私には言われていた。
要は、人は、代り方の変貌の差で、許容範囲を超えると、付き合えないと離れていく・・・しかし、家族はどんな状態でも、側に居て、当然と私は思っている。家族と仮に言っているなら、当然と言うことになる。
父が荒れているとき、ブログに差し違えても本望、幸せだと私は書いている。要は、殺されても本望と捉えるようにしていた。
そうしなければ、父を避けようとする命、私が思う、一番人間として汚い命、差別の命が出る事を恐れた。この状態に成れば、殺すという行動を私が起す可能性が出てくる。
最悪、差し違える・・・此が最善策と思える状態まで、父が荒れていた時が有る。
その様な時は、基本、見方と見せかけて近づき、父を利用しようとする人達が、上手に凄い等々、煽てて、使い出す、本人も薄々解っているが、それを指摘されると一気に切れる・・・この様なタイプは、多いし、最近、過保護に育てられている子が多いので、増えている。
今は、親も他の家族も己の事が大事で、関わりを絶とうとするから、社会に野放しになっている。当然、当たり障り無い会話の場合、本性が出ない・・・でも、少し、捻った、対応をすると、一気に切れ出す・・・
勿論、少し捻った対応・・・此が大事に、大きく捻った対応だと、命が逝く有っても足らなくなる。
人の本性を確かめる、此も人と付き合っていく中で大事な部分になる。
よく、こんな人間だとは知らなかったと、言う人が多いが、その前は信用して付き合っていたという?????信用とは見せ掛けで良いのか、身飾り粉飾していることでも良いのか???燃し、此で良いと成れば、この様な嘘だから簡単な事で、見せ掛けだけの人が増え出す。
結果、全ての人を信用しているのかと問いたいが????違うとなる、一人一人の事を確り知らなければと言うが、現実とは大きく違うと私は思う。
信用していたのに、こんな人とは思わなかったで、何十年も付き合っている。勿論、それが悪いとは思わない、要は気付かなかったこの部分が問題だと思うし、気付が対応、対策を考えることが出来るし、己にも責務が有ると成っていく、要は共々に成長が出来ると言う事になるが、単純に共に歩いているだけの状態を信用していると言っている事に成る。
タマタマ、横に座った人と、同じ、信用しているので、その場に居たとなる。その程度の信用なら、裏切られた直ぐに成る。
話が逸れたが、父の本命日・・・父の好きな羊羹を購入しているので、仏壇に供えたいと思っている。
父が居たから、今の私が居る、この厳然たる事実に対して、感謝の思いを何かの形で表すことになる。
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