準備していた、羊羹を仏壇に供えようとしていたら、嫁が「貴方の一番悪い部分、何故嫌われる様な事をするのか」と言う・・・
父が好きな羊羹を供える、何が悪いのか???と私は成ったが・・・見栄の人・権威の人・・・・ダイソーの100円で買ってきた羊羹を供える等々、怒られても仕方が無いと言うのが、嫁の見解になる。
私の、出来るだけの事をしたいと思うが、無理はしなく無い、分相応と考えているし、今の私に出来る範囲では、100円のダイソーの商品になったと言う事・・・この気持ちより、結果も物がだいじなのか??と嫁に問うと、私は古いらしい、気持ち等より、現玉・・・物が現代、その最先端を走っていたのが、父・・・それに刃向かうような事を私がするから、嫌われると嫁が言うが・・・当然、無視して、仏壇に供えた!!!!
現代、気持ちあっても、物がショボいなら、しない方が良いという流れに成っているか????少し、寂しい感じがする。
よく、世間では気持ちだけで良いと口から言われているが、現実はそれは嘘で、現玉が欲しいと言っているのか????口から出る言葉をそのまま信用できないと言う事にもなる。
父という人間を創り上げた、時代背景もある、戦後までは裕福な商売人の息子として育ち・・・終戦後・・・・家長の立場として、故郷に戻る・・・その際、色んな親族と言っても、商売で大成された処に身を寄せ、数年間、暮らされている・・・
故郷の柳川に帰ってくると、古い家が有るだけ・・・・不在者地主として、農地解放で、田畑も無くなっていた。
幼い、父の環境が雲泥の差で変わったと言う事になる、今まで、腫れ物に触る様に扱われてた父・・・急に地元だがよそ者で言葉も違う人間は入ってくる・・・当然、形見の狭い思いをしたと思う。
その様な時に、父の話だと、戦地から引き揚げてくる元軍人等々が、この地域に住むようになり・・・肩で風を切って歩き、回りが引くような振舞をしていた、青年に憧れ、その人の真似をするようになったと父が話していた、痰を道に吐く・・・人との話をする場合は、相手の片目を睨み付ける・・・・座れば片膝を立てる・・・日本では態度が悪い、はしたないという言動が良いと父は錯覚して、覚えている。
当然、その様な言動をして、諫めたり・指摘したりする人も居ない・・・誰もが怖がり、避ける、此を己の力、実力と勘違いしている。
誰も俺に刃向かわない・・・此が、力の証明だし、己の正しさ正義を証明しているというのが、父の考えになる。
私が、何度も、己の思うとおりに成る・・等々は人の妄想で有る、思うように成らないから生きているし、楽しいと書いている理由に、父が居たからに成る、父は、己の思うとおりになる事が幸せだし正義と思っていた。
その結果、最後は、孤独に死んでいった。私も合って優しい言葉も掛けてやりたいと思っているが、顔を見ると、多々の指摘をしなければと直ぐに成る。それ程、自分勝手な捉え方を父は行う、お世話に成っている施設に人にさえ、敵味方論・・・敵は当然死ねという感情が出ている。
この様な話を聞いていて、聞き流すことが出来ない・・・・結果、指摘し喧嘩になる。それが解ってるから、出来るだけ合わないの父の為と思っていたが・・・最後の死に様を見ることが出来なかったのが、心の悔いでもある。
日本国は、先の大戦で負けた・・・結果、日本古来の価値観の否定につながり・・・それを西欧列強は求めた・・敵味方論・勝ち負け論等々、様は、従順な迷える子羊になる様に!!!・・・
結果、力を振りかざして黙らせる、この様なやり方が通用する世界に、此がグローバル化になる・・・力、当然、権威・立場・等々、人より上だと言う立場になる、しかし、その様な人々は、口では平等と言って、人が這い上がるのを阻止している・・・
己のポジションを守る・・・この行為が、戦後直ぐは、威圧感がものを言ったし、映画等も、任侠映画がヒットしていた理由にもなる。
要は、この様な立場が存在し続ける・・・今は、綺麗で見掛けが良い、当たり障りの無い様に見せ掛け、本心は確りと己のポジションを奪われないようにしている、同じ事に成る。策と方法が変わっただけ・・・・
私は、テレビ等で、見る、綺麗事を並べ、私は平等主義者と言う雰囲気の人を信用していない・・・それより、父の方が信用できる、見方で弱い人に対しては、徹底して尽くすのが父・・・命懸けで事を起す人・・・人助けという部分だと、父の方が凄いと思う、勿論、最初に、見方という前提が付くし、劣っている立場と言う条件も付く・・・正義の味方ウルトラマン的事を簡単にできる人でも有る。
しかし、一旦、敵と感じたら、徹底して潰しに掛かる・・・此が怖い・・・
嫁が、父の優しさを気付いてくれたので、介護・面倒を確り見ていたと思う・・・基本、人が良い、一般に言うバカな人だった・・・
このバカに扱われる事を嫌ったために、力を見せると言う力の捉え方が、間違っていたと言う事になる。
バカに扱われて本望だと思えば済んだこと・・・可哀想である。
馬鹿にされたくない、この一点で人生を歩んだ結果・・・・最後は孤独に死んでいくことになっている。
しかし、孫達は、父の命懸けで守る・・・この部分を知っているし、尊敬している、何度も警察署に殴り込みを掛けている・・・孫が検挙されたと言う事で、直ぐに行動している。
結果、後処理が大変になるが、それも、父の愛情の表し方だと私は思っている。
肩書きが有るからと、家まで乗り込んでいく人、タダの人間として勝負という、ヤクザみたいな部分が有る。
警察も仕事で行っていること個人的に~~~と繋がるのが、父の考えになる。
人は、色んな側面が有る、此を理解できないのが父でも有る、社会人として、家庭人として、夫として・・・等々、色んな側面を持って居る。当然、その側面側面で対応が違ってくる・・・此を認めきれないのが父になるし、逆に人の信用という部分では、一点だけで信用してしまうタイプと言う事に成るし、騙され安いと言う事にもなる。
父が居たから私が多くの事を学べた・・・父の言動が結果として、子の立場の私に大きく影響する、親の七光りの逆バージョンも有ると言う事・・・
全ての事を、己の糧に出来る、この様な生き方が大事だと私は学んだ、好みだけを選ぶ生き方も有るが、父の様になると思う。
人は、人の中で生き、死んで行く・・・この一生を確りと認識しなければと何時の考えてます。
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