現代、集団化に加速中・その土壌は価値観の共通化を理想論と現実論の二極化で人々を大きく左右に分けている。この様な時代だから色んな価値観でも生きれる受入れられる許容出来る度量も必用に成る。
その為には数値で表せない心地よさ、幸福感をその環境に強調すると出来ると言う時間が人の価値観を変えていく・・・食べず嫌いでは駄目、確り味わって己の趣向で捉えることになるが、もし嫌いでも食材・調理した人、この食事の為に労をした人達には最低でも感謝を伝えればと思うし・・・・人として当然・・・味等の部分は本人の勝手な味覚での感覚・・・思い込みで旨いと思ってる場合も有る。
現代は頂点の主が居て多くの従属者が居る主の責務は、従属者の幸せを願い・・改善していく現実が必要と思うが、今は集団が多きすりて末端が見えないし見ようともしない・・・結果、将棋の捨て駒の様な使い方をするリーダーが立派で強いリーダーという方向に向っている。この様なリーダーは己の保身の為に従属者を身代わりに闘かせている。リーダーは安全な環境で高い身の高見の見物・・・負が発生すれば管理職のリーダの責任に転換・・・・此が、井手於呂義等違うと言うが人間の動物としての本能・・・田崎山の日本雑の群れの集団と同じ、堂々とした立ち振る舞いで権威を見せびらかしている。それに従う雌ザルを多く囲うことが出来るのが立派な何故かこの場合、英語のボスザルと言われる。親分とボスの意味の違いも日本人なら解るはず・・・この環境を外から狙っている若い離れ雄ザルが居る。気を伺って、ボスと対決・勝つ此が畜生道で集団性・知能が高い猿が行っている。人間は他の集団が気にくわないとボスが思うと、相手を潰す方向性に成る、誰が現実の潰す行動をするのか???末端の庶民を戦士と称えて捨て駒で永遠に勝つために人を費やし続ける。一度書いているが、任侠道なら昔は親分同士の戦いで他は手を出すなが本来、自業自得の率直に受けれているし他人には迷惑を掛けないという配慮と舎弟に対しての拝領がある。
戦争も、主同士が闘う、勿論、暴力は禁止、暴言の威圧も観ている、第三者の判断に任せれば、良いと思う、各自どう思うかも各自の勝手・・・優劣は付けない、この様な時代に必用よ思う、己の自己満足の為に己が汗を流すのは当然・・・今は我欲は叶えたい・・・しかし己は汗を流したくないこの様なタイプが増え続けている。全てが己の利・対価のお金を汗を流さずに手に入れるか、一流の証になっているが、私は違うと思う。支えた多くの人が支えた人達のお陰と思うし、その恩に応える責務が有ると思っている。しかし、主は支配側、従は搾取されるが世界的な標準的な考えに成る・・・基本・底辺に確りした差別があるから綺麗事の平等と叫んでいる。基本の価値観も変えきれない見せ掛けの仏ずらをする・・・心は地獄道だのため大きく二極化各々で、此方の方が個人の好み程度なら解るが、正しい・正義と各々が言い張っている。私は動物だし、凡夫だ生きる為に毎日多くの殺生を繰り返している。その命に感謝しつづけるしかない・・・・・殺生しないでどう生きていくのか綺麗事を並べる人は、命の差別感がある、虫にも五分の魂と言われる全ての命が有る。、物にも命が有ると思うのが日本人である。
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