2016年10月14日金曜日

表現・・・・何を・・・

自分の表現・・・・之が、趣味のRCドリフトなら走りに成ると思う・・・・・

走りでのアピールが又ドリフトだと考えている・・・・

この部分が、何故か、人の指図に成ってしまっている・・・・・

この表現を求めるために、前走を私は好んでいる・・・・・考え様では我侭という事に成るが・・・

ルールも追い抜かないという部分が有れば、前走が楽しめるという事に成る・・・・・

スピード等も結局はライン取りになる・・・スピードを求め早く走っても、前走には成らない・・・・仲間内で楽しむこの次元で止まる・・・・・

色んな考えが有り、それを、前走で行って、どうなるかに成る・・・・・・


若し、絡みを楽しみたいと強く思えば、必然的に、一周を大きく走る・・・・・

絡みを競争と思えば、結局、最速ライン、先に急ぐような走りに成る・・・・・

コースの走りの目的でも変ってくる事に成る・・・・


形を決めすぎれば、結果として全てがスタイルと言う形で片付けられる・・・・

本来、走りに、人格・品格等々を表す、之が走りには有ると思う・・・しかし、個人的な、表現を形と言うもので阻害し・・・・その形で優劣を競うと成れば、その範囲内での個性のアピールに成り、結果的に、物等々に走るのも解る気がする・・・

結局、走り、以外の部分に注視する形になりだす・・・・

走りを、極めるという事は、結局、自分らしい、走りが出来るか・・・常時コントロールで自由に操作できるかに成る・・・之が自己表現だし、アピールだと私は考えている・・・

其れを第三者が、好むか・好まないかに成るだけ・・・・その第三者も千差万別の人たちに成る・・・

結局、何を表現したいと考えているかになる・・・・・・形から入れば結果、形に自ずと成る・・・・

この部分の考え方が、私の場合、一般と違う感じがする・・・・・

その為なのか、走行している車から、人格等々が見えない・・・・・之が躍動感の欠如に繋がっている・・・・・

車から人格だ、出る位の、技量が要ることに成る・・・・・勿論、強い車ならそれ以上の操作技量等々が要る・・・・
弱い車なら、技量もそれなりで良い・・・・しかし弱い車は車が勝手に走ってくれない、操作のミスが直に車の挙動として現れる・・・・結果、常時コントロールが自然の身に付く・・・

しかし、一旦、強い操作の癖が付くば・・・何事も難しくなって行く・・・・


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