2021年1月14日木曜日

色々・・・しかし・・・

 年々・私の感覚だと、権利の主張をする人が、増えている感じがするし・・・己の権利を通せる環境を望む人も増えている感じがする。

結果、権利の主張と権利の主張の言い合いになる場合も増えているし、当然、己の権利を通した方が、何故か????勝ったと思っている。

勿論、人を守る、人の為の権利の主張も有ると思うが・・・全てが己の為と言う、権利の主張も増えている、又、それを隠す為に、色んな事を並べ言うが、全てがその最終目的は???と考えると、己に成る。

何故、己と言う、部分が大事だと教える教育をするのか????

動物は全て己が大事だとは、本能的に知っている。無意識に身を庇う動作をする。要は教えなくても解る部分に成る。


人の教育を、誘導・扇動と捉えたら、当然、耳障りの良い方向・取り付きやすい事で誘導する。

簡単に書けば、病の人で、当然、病に悩んでいるなら、病が治ると言う言葉には敏感に反応する筈である。

先に書いた、人間も動物なので、己が良くなる・儲かると言えば、耳を傾く事に成る。


しかし、良くなる・・儲かるも・・・何が????之が問題に成る。

しかし、その様な部分を説明しないで、大枠で良く成る、儲かる・・・でも・・耳を傾ける人が多い・・・・

何度も書く様に、良いと言う部分は捉え方に成る。当然、各自違う・・・何が良いかも各自で違う・・・

これも何度も書くが「天気が良いですね」・・・一般的、会話に成る・・・しかし、良い・・・中には、晴れが良いと思えない仕事をされている人も居る。

結論を書けば、良いと言う事は、単なる各自の捉え方と言う事に成る。

又、周りと比べてと言う部分も集団で生きる、動物なら当然ある。

動物の猿なら、力が強い、猿が多くの食べ物を手に入れる、又他の猿から奪っても手に入れている。動物が行う行動である。

畜生でもこの程度のレベルの差が有る。

若し、人間が、この様な世界が真実・本来の生き方と成れば、当然、動物レベルで終わると言う事に成る。

人間なら、動物的部分も、当然成るが、知性が少しは、人間らしいと思える振舞いが出来ても不思議で無いと思うが、何故か、畜生レベルでの競い合いを行っている状態に私は見える。

要は、畜生レベルでは良いが・・・人間レベルでは、????・・・とイメージ力を高める事を学ぶのが、教育だと考えている。

仮に、神様を信じている。仏を信じていると言うなら・・人間レベルならこの程度・・・神や仏のレベルなら・・・とイメージを広げれば・・・・

信じている神や仏は、何を私に行えと言っているのかと????想像力を高めれば、見え出すと思うが・・・それが、現代の教育では無い・・・

仮に、親は子に生き方を教える・・・子の立場で、父なら???・・・母なら???と想像力を働かせれば、現象を捉えて、如何、考えているか???等々、親の思い、もう少し強く書けば、師の思いは解るはず。

その様な考えにたいっして、己はどう振舞おうとしているか???・・・この差異を気付くのが教育と私は考えている。

人は、結果として、人の真似・・之を続けている。それなら、誰の真似をするのか???・・・之が大事だと思うし、真似なので、要は人様のコピーとも言える。

真似した、人の心で感じている、幸・不幸・感まで、知る事も可能に成ると私は考えている。

しかし、最初に書いているが、人は各々違う、真似をしても、違いは必ず有る。それが個性に成る。

当然、その個性は、見える人に見えると言う事・・・理由は、豚を見て、一頭一頭の違いを人間が、瞬時に解るか????・・・・要は、豚同士なら違いは解ると思うが・・・・

人間は、些細な差を認識できない・・・蟻は蟻で、昨日出会った蟻と解る人間は殆ど居ないと思う。

職人と言っても、料理人の違いを、一般の人は、同じ人間だが些細な差等は、解らない・・・之と同じで、違いが解るように、己を鍛えるしか無いと言う事にも成る。

当然、職人なら、己の職に対して、鍛えたから、その職種に付いては些細な差も解ると言う事に成る。

糧を得る為の、職・・・・この部分も生きる為には大事と思うが、目的を人間としてと考えた場合・・・当然、職以上に大きく、視野を広げる必要が出て来る。

死ぬ瞬間まで、職人として奔走出来れば良いが・・・現実は違う・・・

何度も書くが、優秀な消費者として、教育している・・・私の本音で書けば、洗脳・扇動・誘導していると私は思っている。

要は、人間としての一部の部分の、消費と言う部分に、全ての目的・目標を置いている、その結果、消費できない状態を、不幸と捉える価値観に成ってしまっている。

お金を使わせる、之が出来る立場が、力が有り、偉いと思う、方向にも成っている為に、権利を主張し、何かを得たいと言う人が増え続けている様に感じる。

要は、何度も書くが、お金の奴隷と成っていると言う事・・・

畜生も、仲間で争う、食を得る為に、しかし、それで死のうと考える猿は居ない。

理由は、食べ物の奴隷で無いからに成る。力が有るか、食べられる、当然食材より力が有ると言う事・・・・しかし、お金の奴隷は・・・・お金に対して、己は弱いと思っている・・その為に、お金の為には命も捨てる人も出て来る。

人間だけの振舞いだと思う。

猿にお金も見せて、興味を持ち、お金の為に命を落とすか????

猿は、己が一番と思っている。人間にも歯向かう・・・負けないと言う思いが有る。

負けたら、死と言う事を知っているので、負けない生き方をしていると思う。

猿は、食を争って得た・・・之で完結している・・・人間は勝ったと捉えてしまう。

要は、得られない時も有ると言う事を認識している。

人間は、それが許せない・・・己の命まで、捨てる人が居る。

猿から見れば、人間はバカと思われている可能性さえある。

畜生から、馬鹿と思われている。当然、畜生以下のレベルと言う事にも成る。

物には恵まれた、人間・・・・しかし、者に恵まれているのか????

集団で生きる動物で、孤独を感じる方向に向かっていると言う事・・・

人は、今、試されている、地球が人をフルイに掛けていると私は、書き続けて来た。

生き残る、当然、子孫を残し、永久に人を繋げる為に、何が必要かを???真剣に考える時期に成ったと思う。


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