2019年4月25日木曜日

伝言ゲーム・・・・

昔は、テレビ等で伝言ゲームが、流されていた。

十人ほどで・・・最初の人が聴いた事を、次々に伝え・・・最後の人が、どう理解し、表現するか????・・・・・この差が面白く、視聴していた記憶が有る。

情報を的確に伝える・・・難しさを知る事に成る。

言葉より、文字・文章が勝ると、私は考え・・・結果的にワープロ等の操作を思える事に成る。

文章なら、的確だと考えていたが・・・何度か書いている、向かいに住まれているオバサンから・・・行政から来ている、手紙を持ってこられ・・・年金が止まると言われていたが、手紙を読めば、申告をされなければ、年金が止まる可能性が有ると言う通知・・・

しかし、年金が止まる、この部分を強調する文字・色・オバサンの振舞いも解る感じがする。高校の教師をされていたオバサンでもこの状態になる現実を観て・・・文字・文章も、的確に伝える、限界が有る事を気付いた。

結論は、何事も、自分で調べる。自分の目で確かめるしか・・真実は無いし・・当然、自分の意向に言わない部分は、力を入れて得る努力が必要になる。

個人の、意向や趣向・・・之が真実を変化させて行く・・・

又、自分の価値観・・常識感で、判断しない事・・・時が違えば・・・場所が違えば・・等々の違いも加味する事が必要になる。

伝言ゲームで・・・最初の事柄は、人に伝える毎に、変化している。しかし、最後の人が、それを加味したのか???偶然なのか????・・・・的確に最初の事柄を予想で言われ、当てられる、時も有る。

凄い、洞察力だと思う瞬間に成る。

文字も言葉も・・真実を伝える・・限界が有ると言う事に成る。

だから、諦める・・この流れも有るが・・・私は、日々の知りたいと追及する探究心が之を阻止する流れに成ると信じている。

仮に、日本国の昔・・・戦国時代と言う時期が有るが・・・100年続く・・・しかし、人口が半減した等々の情報は無いに等しい・・・

現代と比べれば、医療技術・延命技術も不備な時代・・文明的には現代に比べ劣っていると言われる時代に成る・・・・寿命を天命する事が難しい時代に成る。
平均寿命も、当然、現代に比べれば、短い・・・しかし、その時代の人は不幸だったか????・・・此処に、私は疑問が有る。

現代も、予期せぬ事が起きる。当然、亡くなる人も居る。表面化しにくい、自殺者は年、三万人を超えるとまで言われている。文明発達していると思うし、文明の発達は????人に優しい・生き易い方向性だと私は考えているが・・・現実は???

交通事故は、表面化する・・・・一時、2万人に迫る、時も有ったが・・・人々の意識の変化、努力で5000人を割る方向に成っている。

之も改善の賜物に成るし、当然、努力を続けなければ、又、増えると言う事にも成る。

要は、人々に意識が有るかに成る。又は、思いが有るかに成る。

人の本質・・・心配もするし、間違いも起こす。この部分を常時、意識しているかに成る。
勿論、人との絡みで生きているし、集団世界で生きている。他の人を信頼しなければ成り立たない・・・信頼とは????、人の本質を基本に置いていなければ成り立たない。
この部分が無い、信頼は、当然、一瞬に破綻する。

結婚・夫婦生活も同じだと私は考えている。
又、家族の生活にも言える。当然、地域社会にも繋がる事に成る。

結婚は、相手を択べる・・・人として信頼したから、結婚をする。欠点・負も本来は含みに成る。
しかし、結婚後、この負が問題になる・・・その判断に、一般や普通はを用いだす。
結婚当初は、その部分を指摘する人が周りに多々居ても、耳に入らずに結婚している筈だが・・・・軽んじていた部分を、重大視しだす。

家族は????・・・相手を選ぶことが出来難い・・・子供は????・・・・自分の意に適う子供が要る人が少ないと思う・・・負が多々あっても、何故か守ろうとする。

要は、順序・・・最初は意に沿う人と家庭を持ち・・・自分の意に添わない人が増えていくが、守るが一つ広がり、深くなる。
この延長線上に、地域社会が有ると私は考えている。

この最初の、結婚、他の人を守りたいと言う思いが、広がるか、狭まるかの試験だと私は考えている。
狭まる方向と、成れば、当然、家庭を守る事もキツク感じるし、それを不幸だと感じる、命に成る。
当然、地域社会等々を守ろうと言う、命に成る訳がない。

本来、離れオオカミ的な一匹・・この生き方になるが・・・このオオカミが何故か、集団を俺の意の思う通りにしたいと思ったら・・・怖い、ファシズムが始まる。
独裁者の命が目覚める事に成る。

現代は、情報等では、価値の多角化に進み、これを受け入れるだけの社会に・・・と言う流れを言っている。

独裁的、命の人も含みでに成るが・・・之が頭を持ち上げるのが、人間社会に有る。
この様なタイプは、何故か形・数字が全てと言う人が多い・・・この部分に属しない人を排除する方向性もある。
価値の多様化を阻害する方向に成る。

自分の意に少しでも合わない人を、常識・・普通・一般と言う単語を使い、排除して行く・・・結果は、先に書いた、離れオオカミ・一匹オオカミに当然、成る。

要は、命が好む、世界に成ると言う事・・・・之を、人は臨終の時に解ると言われる部分だと私は考えている。所詮、裸で生まれ、身一つで死んで行く・・・この生死の間は何を求め、何を行ったかに成る。

仮に、身一つで生まれ・死んで行く・・・この間も、一人・自分だけの為に、生きたなら何の為の、時間かに成る。

他と関りが持てる、限られた時間の使い方になる。

言葉で、生きる屍と有るが・・・この意味も、情報の変化、知識の変化で見え方が変わる。

死にかかっている人を言う、言葉でもないと解るはず。元気が有っても、若さが有っても、屍状態が有ると言う事。

生きているなら?????・・・何が出来るかを考える事に成る。

人様に迷惑をかけて生きていると、自覚が有れば、何かをすることに成るし、それが出来ているなら、±0に成る。

恥じる事も無いし、人の本質の失敗・間違いを起す・・・之が有るから、頑張る事に成る。






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