国に感謝・・・
上の三人の息子は・・・如何にか、国の援助を受けずに、学校を行かせる事が出来たが・・・
下の二人の子供は、国の援助を利用させていただいた。感謝に成る。
しかし、当の四男は・・・感謝の念が無い・・・結果、支払いの意志が無いと言う事に成る。
感謝と言う方向より・・・恨みの方が強い感じさえ私には取れる。
勿論、この様な制度を使っている等・・・私の耳には入っていなかったが・・・・・
嫁は、支払いを忘れていたと、今、支払いに出かけたので・・・
考えている。
叔母もこの部分を言っていた・・・・孫の奨学金の支払いは、叔母が行っていると言う事・・・最近の、子供は????之が、叔母の口癖に成っている。
私は、慕われているからだと言うと・・・・「親しき中にも礼儀あり」と叔母は返す。
叔母が言う「親しき中にも礼儀あり」のいい関係性が・・三親等位と言われる。
しかし、共に住んだ孫は、この部分が無く・・・二親等以上の甘えが有ると言う事に成る。
この部分は、私も感じる部分に成る。
何故、奉仕しているか????・・・之を考えない空気が存在している。
特に最近は、この甘えられる環境を持つ、これが当然だと考える空気まで存在する。
仕事も同じで・・・奉仕の対価が大きい方が良い、また当然と成っている。之を求める事は、奉仕以下の対価しか頂けない人を、多く輩出する事とは考えていない。
之が意味する事は、寝る間も惜しんで、仕事をしても、生活に困窮する人が出て来ると言う事に成る。
この問題を解決すると・・・・時給を上げる対策をする。当然、対価を多く貰っていた人の部分を削る事に成るが・・・之を認めないと成れば・・・当然、物価が上がりだす。
時給が増える、率より、物価上昇が高ければ、当然、困窮人は減らない、逆に増える方向に成る。
有る、お金持ちが言っておられたが、社会が弱者へと対策をする。しかし現実には強い側に都合が良い方向に向かう。
仮に、同じものは価格が同じで、当然、価格競争で安くなる。之が状態か知れば、同じものを、誰しもが同じ値段で買える。之は弱者に良いと言う考えも有るが・・・強者側やそれ以上にお金が節約でき、お金でお金を生む方向に投資できる事に成る。
金持ちと言えでも、食べる量等々、生活に必要な費用は、同じ人間なので、差が無い・・・後は、残る金が有るか、無いかが貧乏が・金持ちかの違いに成る。
残れば、贅沢な方向に向かうが、自分で決める事が出来る部分・・・・お金がお金を生むつなれば、それに投資する。
お金が残らない、足らない人は、世間が言うように、働く・多々働く・・・それでも足らない之が続けば、何時か病に倒れた瞬間に破綻と成る。
稼いだ対価を思う通りに使えない・・・全てが消える。之が本来だと私は考えているが、之を不幸と言う風潮がある。
結果、楽して稼げる人が増えているような、情報が多々ある世界・・・増え続けている事は、頑張っても稼げない人が増えている事に成る。
之を普通と言うなら?????本当の普通の、この間に有る、存在の普通が減り続けている事に成る。
労働の対価が多い人が増える事は・・・・労働の対価が少ない人を多く輩出している。労働の対価が丁度良いと言う、ポジションの減少に成る。
この丁度良いのレベルは、私が先に書いている、対価が残らない生活だと考えている。
対価を世間に使う、之も経済活動の奉仕にもなる。
私の人生は、対価を、人様にばらまく人生だったと言っても良いと考えている。
良く深いから、近場の人に成る。
之も、三流だからだと思う・・・私が見える範囲の狭さに成る。
対価を頂いた人の振舞いが、最後の砦に成る。
現代社会は、対価を頂くまでは、形・数字で縛られている、結果、人間味と言う部分の介入が、少ない・・・・人の心無き部分での対価に成る・・・当然、お金に成るが、命無きお金を頂いた、個人が命を吹き込むことに成る。
使い方に、人間味を表現できると言う事に成る。
人の購買動向で、人の本質、方向性まで見えると言う事にも繋がる。
幼い、四男は、この部分が解っていない・・・
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