何度か書いているが、私が二十歳の時、先輩から、言われた事・・・・私の人生で一生、耳に残っているし、考え続けていることになる。
人は、己の周りに、必要な人・不必要な人・どうでもよい人・・の・・三種類に分類されると言われ・・・私の場合は、その通りで有ると成った。
当然、平等主義者の人なら、この様な三種類等々の分類する等、考えられない事だし、当然、全ての人を平等に捉えていると思うが、私の場合は、先に書いた三種類に分類していると言われて、違うとは言えなかった。
その時、先輩から、この三種類のタイプで、どのタイプを目指すのか????と問われ・・・私は即答で必要な人に成りたいと答えたが・・・先輩曰く・・・それなら負必要と思われる覚悟が必要と言われた。要は、相手に対して、意見を言うという事に成る。この行為に対して感謝する相手ならよいが、そうで無い場合が多い、結果、理想は必要な人に成りたいと思っていても、波風を立てない、どうでもよい人を 知らず・知らずに選んでいると言われた。
この発想は己はどの立場かを求めているかに成る。
40歳を超えた頃から、己はどの様な人を求めているのか???と己に問うてみると・・・当然、手を引っ張ってくれる人、背中を叩いてくれる人・・・・それにプラスして、気付かない部分で下働きをしてくれる人を求めているのが解ってきた。
以前は相手に対して、己がどう思われるかを注視していたことになるし、壮年期以降は、己はどの様なタイプを求めているのかを注視するようになり、50歳に近づくにつれて、己が欲しているタイプは誰が育てているのか????に向かっていき、最初は社会・世間・国だという思いが強かったが、最近は家庭・己は・・・この部分に帰着することになった。
己が欲しているタイプ・人間は、間違っても王子様・御姫様でな無い・・・どちらかと言われれば、現代なら虐め・辛い仕打ちを受けても、挫けず背一杯生きようとする、下働きを苦に思わないタイプを求めている事に気付く・・・・
以前も書いているが、妻と嫁とは意味が違う・・・私は嫁を求めているし、息子達にも嫁を娶って欲しいと願っている。
お姫様等々は求めても居ないし、その様なタイプを面倒見れる分でも無い・・・共に苦労を楽しめる人を求めることに成る。
勿論、最下層に居るので、もしお姫様として育ち、その様な環境、価値観で育っていたら、最下層の現実は、非現実、有りえないと成るし、当然、そのレベルに居る立場の人間が悪いという流れに成る。
己が正しいという前提で、事を考え、結果が悪いなら、己は正しいなら、当然、周りが悪いという流れに成る価値観という事に成る。
当然、苦痛を感じているし、不幸だと思っているし、その原因は当然、己は正しいので周りになる。しかし、その周りも思うように成らないなら、思うように成る人や物に当たりだす。要は、苦と感じていることを、誰かに背負わせる、又はその苦を、思うように成る立場に押しつけて、己の正しさを納得する生き方、周りはたまったものでない・・・・何か問題が有れば、全て他の責任・何か利が有れば己のもの、当然、それを人権が保障しているという捉え方になる。
要は、この様なタイプを輩出すれば、誰かが尻を拭く事に成る。己で拭く等々、全く考えていない・・・・
何度が書いているが、王子様・お姫様を多々輩出するという事は、バランスを取るために、優秀な執事が必要だし、下僕・奴隷が必要という事、
このバランスが壊れれば、当然、争い事が増えるし、良い事は無い・・・・
結果、私は息子達は、私のレベル、最下層の価値観で育てたつもりで有る。しかし、私も甘かった、私自身が居るレベルより少し上のレベルで育てた為に、私を屑か汚い物としか捉えきれないレベルに成ってしまった。
己の身を落とし、現実以下のレベルで育てるべきで有ったと、今は後悔している。
しかし、感謝している、本来、捨てられても仕方がない、レベルに成っている私、それなのに、飽きずに離れずに居てくれる。血が繋がっている息子達にも感謝だが、血が繋がっていない、嫁や若嫁達には、大きな感謝に成る。
人は何を目指しているのか???何を求めているのか・・・求めているものが有るなら、当然、それに向けた人の輩出を行っているのか????
各々で違うから、各々求めている、違う個性を多々輩出し続ける事が大事になる。
0 件のコメント:
コメントを投稿