出来る部分を行う・・・当たり前の事だと今は思うが、昔は無理・不可能と解っても絶対にしてみせると頑張っていた時がある。
人には成長時期があると思う・・・その時は不可能と思える事さえ挑戦する気持ちは大事だと思うが・・・大事が当たり前に成りすぎると・・・・
私の様に、今の己の不甲斐なさに、気が滅入り正直、生きる気も無くなる。
又、息子達も、私の昔をイメージするのか、動かないから病が進行すると言っている、子も居る。
無理・無意味・バカと言われても我武者羅に動こうとする私だが、此が出来なくなったのを当たり前、当然と捉え切れれば、良いと思うが、先に書いているように、不甲斐なさや情けない等々・・・己の姿に悔いを感じている。
しかし、一年近い闘病で、少しは、己の今の現状が私の普通という認識をする様にと考えを改め続けている。
ついつい、若くて五体満足の時を己の普通と捉えてしまう傾向が、私・三流の為に有る。
考えれば・・・俺が・俺がと一人で全てを抱え込み、我武者羅に進んでいた時が有るし、それが男・私の生き方と思っていたときが有る。
馬鹿な浅知恵で、寄生虫の多々の人、家族も含め、背負っていく、又その人達から不満というものを取り除く、それが宿主たる、一人前の男の姿と思い込んでいた。勿論、不満まで解消する力は無かったが、両親も看取り・・・五人の子供達も社会人として育てることが出来た。
宿主としての立場は終わったと、本気で思い込まないと・・・病を抱えた己の身には酷に成る。
ヤット、己以外の人々から解放され、自分の事に対して真正面から、見て・取り組める時が来たと言う事・・・・己の為に生きる、この経験が無い為に・・・今は、慣れる期間だと考えている。
何事も、死んでもする。死にもの狂いでする。この時点に達すれば、事は解決すると私は思っていたし、経験の結果もそうだった。
しかし、己の為が微かでもあると、死にもの狂いが私には出来ない、己の身を守ろうとする命が出てくる。
他の人の為、是が非でもこの思いが続く間が、死にもの狂いが出来る・・・此も、劣っているからだと思う。その為に、人様からは馬韓・アホな言動・振舞と言われる。
よく楽が良いと言われる、私は楽(らく)は好きで無い・・・・しかし、楽(たの)しい事は好きである。
我武者羅に振る舞っているときは、感情の起伏も多々有るが、最終的に楽しいと感じているから、続けている。己が楽(らく)したいと思うなら、馬鹿な振舞に成る。
何が有るかな~~~何が有るかな~~~と・・・・ルンルンした感覚、勿論、胃がキリキリ痛むようなときもあるが、それがその後の現象でどう変わるか、楽しいと思うし、ウキウキする。
何度も書いているが、波瀾万丈が楽しいと思える意味に繋がる。
今、新たな事を経験し、学んでいる。ものを得る楽しさも有る、それより、色んな現象、色んな難儀を経験した方が楽しいと私は考えている。
その為には、環境も大事に成るし、どのレベルの環境か?????・・・上澄みの清んだ場所なら先も予想でき見えている。底の濁って、一寸先も見えないこの世界が、面白いと思えるし、楽しいと思えて来る。
要は、どのレベルが楽しいかの違いになる。己の生きる世界にも成る。
その世界で生きられる事が、結果的に幸せという事に成ると私は考えている。
当然、人間社会、どの階層が多いか、ピラミッド型になった社会構成・・・・最終的、人は、老いるし病も患う、結果的に最下層に属する方向になる。己は、ピラミッドの頂点に居るべきだと思い込んでいれば、当然、天と地の差の不幸を感じると思う。
しかし、私は最下層のレベルの人間と思っていれば、その場に留まっても、不幸だとは思わないし、当然の普通の事に成る。
しかし、人を、唆せて・・最上レベルの立場にしてくれると、甘い囁きが常時、されているのが現代の社会になる。子育てもその傾向で育てている。結果、最上レベルの立場で無ければ、納得しないし、不幸だと思うし、その原因は当然、環境、周りが悪いと成る。
現実に最上階に居る立場なら、誰も上から手を差し伸べる人は居ないことになる。己の足を引っ張る、手しか見えない世界・・・世に対して感謝より、恨みしか創らないことに成る。
最下層に居る立場なら、足を引っ張る人等はうようよ居る、当然の事、しかし、希に、上から手を差し伸べてくれる・・・当然、感謝の思いが出てくることになる。最下層でも感謝の思いが出るなら幸せだと私は思うし、最上層に居る立場だが、感謝の念が一つも無く、恨みだけなら、地獄の世界だと私は思う。
現代は、環境で幸せ・不幸と判断している。私は、違うと考えている。
周りから、一言「ありがとう」この言葉が、私には大きな宝物に感じる。
孫から爺~~ありがとう!!・・・この言葉を聞くと、涙が出来るほど嬉しいし、生きていて良かったと思うし、なんて幸福な事なのか!!と思える。
私は、欲深い、多々の「ありがとう」を求めて生きているようだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿