2019年10月13日日曜日

奇麗ごとが・・事実・真実に・・・

家族・・・四男の件で、他の兄弟から・・・色々言われた・・・
当然、私に成る・・・本来は四男に言うべきだと思うが・・・私は何故と成る。

勿論、家長と言う立場が有るので、言われたと思うが・・・私にも能力が有るし、その限界も有る。

その部分を知っているから・・能力を超えそうだからと、サイド・・奇麗ごと、こう有るべき論を・・私に言う・・・・

無理と解っているなら、本来は黙って、下支えすれば、良い事だと思うし・・・私は父に対して行ってきた。

家族と言う、共同体・・・共存の意味を解っていない事に成る。
家族の負を、共々に背負う・・・勿論、力加減も有るが、その思いが無ければ、共存は保たれないと思う。

この部分を昔は、親亀こけたら、皆こけた・・この諺に成る。他の亀が負を分担すれば、済むと言う意味に成るが・・・現代は、違う意味で使っている事が多い、

最近は、奇麗ごと・・こう有るべき論が、多過ぎるし・・・それが、事実に成り・・・真実に向かっている。

何度かブログに書いているが、差別はダメだと誰しも、口で言う・・・・本当にダメというなら、口から発している人は行っていないのか????

私は、差別はあるもの・・だから注意が必要としか言わない・・・・

五人の兄弟が居るが・・・一人の父親として、平等に接して来たか????この平等も色んな、側面で変わる・・・五人、同時に同じものを与える事が、平等という考えも有る。
しかし、歳の差も有るし、一人一人、個性も違う・・・之を無視すれば、同一の物、之もあり得ると思うが・・・現実は、違いが有る。

勿論、私自身も、変化している。永遠に一定という事は、私には不可能になる。

上の子供達が幼い頃は、親の借金も有り、日々の生活で手一杯だった・・・その為に、何も買い与える事が出来なかったし・・・貰った裳のや貰った物等を与えていた。
しかし、下の子供達の場合、幼い頃から、求める物は与えてきた。

若し之を差別と成れば、当然、下の子供達にも同じことをすることに成る。

又、上の子供達が、言っていた言葉、友達等は持っている・・何故、我家は???之も、子供達には、差別に感じていたと思う。


最近の差別は・・・対応振舞い等々の、形に成っている感じが強くする。

本来、対応も振舞いも、人の個性で変わっても良いと考えている。勿論、私の場合に成る。

差別とは、心の中に潜む、人間として、蔑視したり、人として全否定する、部分だと考えている。
私は、何度も書くが、失敗もするし、間違いも起こす、これが人間と考えている。
負も含みで、人間と考えている。

勿論、負は私も、容認しにくいので、口で言う、これは差別でなく・・・私の価値観では認めきれない部分なので、言っている事に成る。勿論、一部に成り、全部否定している訳ではない。

しかし、最近は、一部の指摘しても、全否定された、差別を受けたと捉える人も増えている。

この様な人が増えれば、何も指摘できない事に繋がる。

仮に、究極になるが、人殺しは悪い・・之は常識だが・・・しかし、咄嗟な時や戦争等、戦地では・・・・環境・状況次第では、人殺しをしても、仕方が無い場合も有る。

奇麗ごとだけなら、勿論、何が有っても、駄目となるが・・・私は、そう思わない・・・

今回、水害も発生している、ダム等の放流が、一つの要因と言われる可能性が高い・・・
しかし、ダムが崩壊すれば、それ以上の被害を出す。
放流が一つの要因で、人が死ぬ場合も有るが・・・苦渋の判断と言う場合も有る。
之を、人が駄目だと指摘できるか????人は、間違いも起こすし、失敗もする者を前提に考えれば、苦渋の判断の結果なら、仕方らないと私は考える。
しかし、この人としての特徴さえ、小さな部分を指摘、足を引っ張って、落とす方向の振舞いを起す人も居る。私はその様な人が、差別と思う。

勿論、差別も私は有るものと考えているから言える部分に成る。
私の嫁が、他人の子と、我が子、何か有れば、対処・振舞いが変る筈と言ったら、当然と言っていた。

他人様の子なら、ふ~~~で済む・・・しかし、我が子なら、バタ狂いしても当然と言っていた。

差別が悪い事では、無いと言うと、誤解を生むが・・・難しいと言う事に成る。

仮に、殺生はダメと言われると・・・奇麗ごと、成程と成る・・・・しかし、当然の様に、殺生した物を口にしている。

耳から入った、事に対しては、気に留めない方向が多い・・・直ぐに忘れると言う事・・・現に、殺生はダメだと話しながらでも、その様な食材を口にしながらでも話が出来る。

若し、之が、テレビ等で、豚や牛の、と殺・解体等を観ながらの食事・・口に出来る人は少ないと思う。

理由は、日頃・・知らない部分を、急に見せられ、脳を刺激している事に成る。

同じ事で、日本人なら、目の前で、魚を裁いて・・生き作りの鉢盛を出されても、美味しそう、新鮮だと、捉える・・・要は、目からの刺激に対して、対応性が出来ている事に成る。

同じ事で、戦時中の戦場・・・同じことが言える。

之を、平時の現代の誰が決めたか解らない・・・価値観の物差しで測る等は、ナンセンスだと私は考えている。


先に書いた、殺生はダメだ・・・当然と一瞬、頭が判断する・・・しかし・・と本来、考えれる、頭を作る事の大事だ荷も繋がる。

情報の誘導・扇動・・・論者に多い、手段が、この部分の利用に成る。
之を利用して、国民の民意だと、大きく話を盛る。

昔、硬いが、「良い天気ですね~」と話しかけて来る人が居る「私は、良い天気か悪い天気は、解らない」と答える。へそ曲がりの私の言動に成る。
理由は、雨の天候が良いと思える人も居るからに成る。

今回の風水害も、被害にあわれた人には、良い事で無いが・・・逆に之で儲かる人も居るのが、現実に、一概に全てが悪いとは言えない。

特に、お金の流動性が、滞る方向に向かっている時代の日本国・・・全てが悪いとは言えない事に成る。

私の、ブログには日々の我家の営みを書いている。
良い事より、悪事の方が多いと思うが、不幸とは思っていないから掲載できている。
現実の事を書いて、悪いと成れば、その様に判断する、社会が悪いと私は考えている。
この様な、家庭でも、幸福感は有るし、家族各々、楽しんでいる様に私は思える。

楽しい事、良い事が・・・幸せだとは私は考えていない。

その為に、殺生が悪いとも、一概に私は思わない・・・・生きる為に必要な殺生は有るのもだと考えている。
植物の命である。生きるのもを命を頂いているのが、食と私は考えている。

だから、人様から、貧食思われても、私は、感謝して頂いている。

私が危惧している部分が、人の本質を度外視した・・・奇麗ごとが横行している事・・・当然、違うと言えない事を、表に出して・・・之を民意と捉え、常識化して行く・・・最後には真実に成る・・・・

人として当然、無理な真実を押し付ける方向に成る。

当然、出来ないから、それを隠す方向に成る・・・この様な世界に成れば、他は全て、足をすくわれる、行動を起こす可能性が有ると、益々、隠す方向に向かう・・・周りはそれを弱みとして、利用しだす。

集団と言うが、全てが奴隷化されている事に成る。
之を、心が感じるから、幸福感が感じにくい・・・憂鬱な状態が続くから、浮かれたいと、場所を求めている。

本来は、楽しく刺激が有る、私生活・・・が・・・良いと考えるが、これが無い為に、私生活以外でそれを求める事に成る。
当然、お金が要る、その為に、お金本位主義が益々、浸透しだす。

之を求めている人は、大資本家に成る・・・資本主義の主人を喜ばせる方向に向かっている。





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