2019年10月13日日曜日

完璧・・・

私は、完璧と言う単語は、ありえないと考えている。

しかし、現代は何故か完璧を求め、完璧でなければ、認めない方向性が有る。

今回の災害も、完璧な堤防が有れば、防げる・・・しかし、完璧は何を想定しているかに成る。
その範囲なら、完璧と言う完璧は、本来完璧でないと私は考えている。

その為に、完璧と言う、単語は本来使えないものだと考えている。

今回もマスコミ等々では、想定を超える、雨量等々を、言っている。

しかし、本当に想定を超えていたのか????・・・・温暖化が進めば、この様な事が起きると言われてきた・・・

想定されていた事に成るが・・・雨量が増える、その増減幅が解らないと言う状態と言う事に成る。

昔の治水は、堤防も、有る部分を弱くして、想定を超える場合、ワザと決壊させる・・・その決壊した水を溜める為の土地も治水の一環として考えていた。

昔の方が、理に適っていると私は考えている。

土塁を創る、想定する水量の高さに成る・・・・しかし、想定外の事が起きる、これが当り前・・・結果、想定を超えた場合お策を、幾つも準備するのが、昔のインフラに成る。

先の大戦でも、世界最大級の主砲を持ち、浮沈艦と言われていた、戦艦、大和・・・沖縄へ向かう中、主砲を使えず、沈没している。

浮沈艦、完璧を目指して、造られた船だが・・・毛かは、数年で沈没している。
戦術の変化・・等々の、想定を出来ない、事が起きている。

人の考えさえ、想定外の事が有る・・・・・自然なら、それ以上あるのは当然だと私は考えている。

しかし、基準となる部分を示さないと、何もできない、これが現代の物事の遂行に欠かせない・・・之が無ければ、話にも成らない・・・
議会を通すために必要だが・・・・若し、之で守る事が出来なかった場合は、この基準んが悪いと成る・・・誰お為のインフラか????・・・之が本来問われるが・・・その人達も、結果として、数で示す、基準等々を求めているのも現実には有る。

少し前のブログにも書いているが、現代は、仕事も完璧を求めている。しかし、想定外の事が起きる。完璧でも処理できないと成れば、市の人自体が完璧でなかったと、判断される。

運が悪かったと成る。

管理側は、完璧な対応をしていると、気を休める方向を目指している。
小さく担当を分け、その担当者が完璧なら、当然、全てが完璧と当然なると考えている事に成るし、完治側が胡坐が欠ける状態だと言う事になる。

しかし、何度も書くが、人は間違いも心配も起こす、この様な人に対して、完璧を求める事態、ナンセンスと書いているが、しかし、現代は之を人にまで求めている。

結果、インフラはそれ以上に、完璧さを求めている事に成るし、インフラを信用している事に成る。

私は、信用はしないと書いているし、信頼までに止めると書いている。
信用が過信を産み、結果、大事な部分を忘れてしまう。

大事な部分は、命である。
人の命を、誰かが決めた基準の想定内で、守れる????・・・・私は不可能と考えいる。
想定外が必ずあるし、それを守る為には、想定外の行動が必要に成る。

しかし、想定外の行動が出来る、勇気が有るか????・・之が求められる時代にも成っている。失敗すれば、当然、犯罪者と言われる場合も出て来る。

状況も一瞬一瞬で変化するし、その対応も、それに合わせて、変化が必要に成る。この判断、又は責任を背負える、人がリーダーだが・・・この様なリーダーも減りつつある。

想定の範囲内で動ける、人は多いが、想定外の事柄に対して、動ける、訓練を受けている人が何人いるかに成る。

当然、イメージすれば解ると思うが、平時の時に、普通は…一般的にはと、基準をよく言葉に入れる人に、この様なタイプが居ると思うか????

管理職に求められる、危機管理とは、想定外の事が起きた時の、対応に成る。
普通は、基準や等々を、教育され・・・その基準内での事しか知らない人が、想定外を想定できるわけが無いと私は考えている。

私は、ブログを書き始めに、今後は、想定を超える、事が起き出す。それに対応できる、リーダーが必要と書いてきている。
居なければ、大変な時代に向かっていると考え、書いている。

グーグル・ブログから始めた2008年からに成る・・・その後、東日本段震災が起きた。

二十一世紀は、との題でも色々、危惧している部分も書いている。

その様に向かっている感じが強くする。



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