よく耳に入る、プライド・・・色んな状況下で使われている。
意味は????と考えると・・・・知らない私は使われ方から想像する事に成る。
直ぐい怒り出す人とに対して、プライドが高いからと言う場合が多い・・・
何かを阻害されたから怒りが出たと思うが・・・それが何か・・・この部分がプライドだと言う事に成るが・・・・それが余りにも色々あり過ぎる・・・・
時と場合でも変わる・・・プライドが変化している事に成るし、時には真逆の事で怒る場合も有るのでプライドの意味が益々、解らなくなる。
辞書で、プライドを調べると・・・自尊心と成る。
文字の通り、解釈すると己を大事いしたい尊重したいと言う心に成る。
この部分は私も大事だと思うが、それを阻害されたからと、怒りだす問題でも無いと思う。
若し、己を、大事にしてもらいたい尊重してもらいたいと言う心なら・・・自尊心とは言わないと私は考えている。
この方向性なら・・・先に書いている、時と場合で、違った理由で怒り出す理由も、解る。
何度か書いているが、赤じゅうたんの上を歩ける・・・上げ善・据え膳をしてもらえる・・之を普通と思っているなら・・・些細な事でも怒りだす。
しかし、不思議にこの様なタイプ・・・・己と言う部分が、余りにも曖昧・・・見栄だけと言った方が良い・・・
簡単に書けば、己には、家族・親族・等々、色んな部分が含まれている。当然、国もにも成る。
私は、この部分を守りたいと考えているが・・・この部分を馬鹿にされたからと怒り等の感情が出るのが不思議である。
当然、徹して守りたいと思っているから・・・馬鹿にされたと感じたら、その言葉を指摘と捉えて、調べ、学べるチャンスだと捉える・・・
若しのこの行動をせず・・・盲目に信じ込めば・・・最終的に騙されたと恨み・・・最後は自分の名まで、捨て去る・・・行動をすることに成る。
守ると言う事は、色んな外部要因から・・・学び吸収しながら、己自身を成長させる事だと考えている。
だから、自尊心は大事だと私は考えている。
守るものも成長させる・・・共々に・・・之含みの己・・自と・・・個の己・・この自と・・・大きく意味が変わる。
この部分も東洋人、日本人は先祖等々社会も含みでの己・・・之が、西欧人、特にキリスト教信者には理解できない部分と言われていた。
逸話として、残っている事で・・・日本国の人々に布教活動に来られた・・神父さんが・・・キリストを信じると、貴方は助かる・・と言われ・・・それを聞いていた、農民は、俺だけが助かっても意味が無い・・・先に死んでいる先祖は、地獄のままだとすれば、自分はその地獄に行く事を願うと・・・・
己の単位が違うと言う事・・・
何度が書いているが・・一神教は・・この個の部分に執着している。
私が自分と思う時は・・・守るべきもの・背負っているもの全てを含んで、自分と捉えている。
個としての自分で無いと言う事に成るし・・・この部分は、生きた年数で増え続けている。
之が、増える事を私は幸せだと考えているし、生きた証、意味だと考えている。
人間として、人として・・・過去から今・・今から未来への責任と義務が有る。
祖先が居たから、今が有る・・・その部分を忘れると、人では無いと考えている。
又、未来に対して責任と義務を果たさなければ・・・生物では無いと考えている。
しかし、今の現実に対して、背負って倒れそうだが、自分の足で確り立つことが・・私の一番の責任だと考えている。
話が逸れたが・・・プライドが本来・・・ある人の方が。温厚で人の優しいと私は考えている。
プライドが無い・・自己中で個としての自分しかないこの様なタイプが直ぐに怒りだす。
しかし、何故か・・守っていたと思われる部分さえ、簡単に捨て去る人に成る。
守り続けて・・生きている。之だけで凄いと私は考えている。
要は、守るものがある人は本来、動じない・・・
最近は、この様な部分を学ばない・・・結果・・個としての己以外は簡単に捨てられる・・・・それが出来る事が、優秀や利口だと思っている。
最後には、自分の名前さえ捨てる事が出来るタイプという音に成る・・・・
この様な価値観が・・・守るものさえ、今の己の都合で変えて行く・・・
以前、書いているが・・・人殺しの親で有れ・・自分の親なら当然、守る・・・
全ての縁を・・・自分から切らない・・変えない・・大事にする。
キツクて苦労するが・・・之が幸福だと私は考えている。
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