2019年9月6日金曜日

宿命・・・

宿命と聞くと・・・気が重くなる・・・何故か???
辞書で調べると・・・・生まれる前から、決まっている部分・・・又は前世から決まってる運命とも書いてある。
運命とは、生きている間に色んな縁で、変化する・・・これまで決まっていると言う事にも成る
若し、これが事実なら、人は、変化できない事に成る。

諦めろと言う事にも成る。

私は、宿命を乗ずる事は当然だと考える様にしている。どうしても三流の為に、宿命から逃げようと心が思う。之を阻止する為に、強く頭で考える事にしている。

理由は簡単・・・川を遡上するサケ・・・子孫を残すための、命を懸けた行動・・・死にさえ向かっていく・・・この宿命から、サケは逃げようとしない。

魚の、サケさえ当然の様に行っている。又、他の生物も同じように行っている。
しかし、人間と思う、自分自身は、宿命から逃げようとしている。

先のブログにも書いたが、生物としての、基本的宿命・・当然、人間にも有ると思う。

若し、人間が他の生物より勝っているなら・・・・宿命を乗じながら、何が他に出来るか???之を模索できる存在だと考えている。

何度か書いているが「生老病死」生物として厳然と有る。部分・・・人間はそれを苦と捉えてしまう。その為に、四苦とも言われる。
四苦からは逃げる事が出来ないとも言われる。

この部分を、苦と捉えるか、当然と捉えるかで、考え方が大きく変わる。

先の書いた、宿命も、苦と捉えてしまう。しかし当然と捉えたなら、又考え方も変わる。

当然、三流の私のレベルだから、苦から逃げたいと、心が思ってしまっている可能性が高いが・・・・

仮に、この部分を知らない・・意識に無い、これを子供と考えている。
その為に、逃げようとも思わないし、それを遂行する事も考えていない。
慾の渇きを、潤す為に貪るように振舞う姿が、餓鬼と成る。
要は、宿命を知らない事に成る。

宿命を全うしようと、生物は振舞っているし、動物は当然、行っている。
これでも畜生と言われる。レベルに成る

人間なら・・・????・・・模索を続けている。

しかし、私は、この部分からも、何も意識しないと、逃げようと勝手に、体が振舞う。

何故か、幼い頃からの教育だと私は、考えている。

逃げても逃げきれるもので無い、宿命から逃げる、馬鹿と言われるレベルに成る。

宿命に真正面から向き合う・・・受け入れた上での、振舞いが大事だと思うが、私の場合難しいし、不可能に近い・・・三流の人間と書いているが、三流の生物以下と言う事にも成る。


生物が当然・普通に行ている、振舞い・行動も出来ない・・情けない、生物が私に成る。



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