2025年1月5日日曜日

新の幸福は心・命にある。「共存共栄」の精神が人レベルの最低限のレベル!!!

 今日は、体調がよいので、私の今の思いを書きたい・・・幸福とは唯物的現象で無く、心・命にあると思っている。どんな環境でも幸福・不幸と捉えるのも各自の勝手なら幸福と鱈得たいと私は考えている。その為には「共存共栄」の精神が必要と思う。此を理解するために対義語は「弱肉強食」「自然淘汰」「下剋上」「独立独歩」「排除」となる、仏法的価値観では畜生道に成る。現代、子も畜生道の価値観が当然だし正しいよなって居る。この様な様相を見せれば、人は近づいてこない・・・その為に「共存共栄」をアピールして信用させる・・・此も相手を食い尽くすための偽装・・本心・命は「己存己栄」を隠しているの事に成るし、此が、世界のスタンダードの価値観と言っても良い、言い換えれば先進国という立場が足枷に成って、この方向に走る事をセイブしていると言うこと・・・人も動物だから、「弱肉強食」「独立独歩」は当然と受入れる傾向が強い、この命・心が強い人が、無償の施し等出来ない。見返りを求めるし対価も多い方が良いと当然の様に思って居るし、それが社会の常識と成れば。社会から排除される人々が増えるというと・・・その対策に国庫を使う、当然、納税者は認めたくない、俺のために生き親族していて、利や栄は当然、己の為の教育・社会の常識疑いも無い真実である。この思いが強いために戦争も起きる。勝つためには縦断も厭わないと成る。

日本国もこの大波にのみ込まれつつある。綺麗事は簡単に言える、しかし己の分で、どう貢献しているかが一番大事だし、それが人としてのレベルの評価だと思います・修羅・畜生・餓鬼道レベルでの評価で今は論じている。目立たないがコツコツと、己の分で貢献を続ける、綺麗語を言うより大事だと思って居るし、人は色んな次元の人が居る、その為に否定も出来ない、何時も私が言うようにグレーの状態が人の世界、濁っているドブと言うこと・・それを少しでも浄化を目指すのが、蓮仏法と言われる・・蓮はドブを浄化して砂に変える、しかし砂地では蓮は育たない・・要は、グレーで濁っているから必用な存在と言うこと・・・・しかし、長命な識者は、己好みの理想の人達で構成される世界を望んでいる、独裁者と同じ・・・何度も書くがこの様な人の目にボロボロの服装で助けてと駆け寄って、抱き寄せてくれるとは思わない!!!!綺麗事を言っているだけで、本性は己の為生き・存続し  己の為に利を追求していると言う事に成る。資本主義社会このようなタイプにしか注目が集まらないし、お金も落ちない・・・・社会の真実は底辺の底辺にあるし,其れを見ようとしない・・・

優秀な消費者の時は良いし、気にならないが言ったん落ちると退園舐め見合う。

0 件のコメント: