2022年10月23日日曜日

民は、患者・・・

 病を患う・・・「生老病死」の四苦から避けられないとは理解している人間、当然、病を患うと言う事は、覚悟し解っているはず。

病に対して、どの様な対策を行っているのか???・・・当然、一般的・民は・・・・病を恐れ、関わらないように努力を行っている・・本当に努力なのか???・・・様は、嫌な事は避ける、観ない・逃げると言う方向の策を用いている人の方が多いと思う。

要は、病に対しては、知っているが、無知・この無知を埋めようという努力は行っていない・・・仮に病に対して、治したい・・・病を撲滅したいと考え、思っている人は、患者という立場で無く・・・医師という立場を目指す。

最近、宗教が話題になっている。

仮に私は宗教家だと言うなら、病に対しての患者側か???、医師側が???どちらのポジションを目指すかが有ると思う。

仮に、病で患者側となれば、当然、治すためには医師や病院を選ぶことになる。何かを基準に選んでいるはず・・・その選んだ医療機関で治れば宵は、治らなかったら、何故か、患者という立場は、騙された、私は被害者という立場を取る。

私は、何度が書いているが、選んだのは、己、自業自得と考えるし、選んだ己に責任が有ると考えている。

もし、この流れなら相手次第で変わる、これを許せないなら、当然、己自身が医師のレベルになる事を目指すことになる。

宗教も同じだと考えている。

しかし、宗教も一般的、集団・組織と同じで、人が運営している。結果的に力が有る側と無い側という図式が出来ている。

勿論、民側がに力が有ると常識で思える世界なら良いが・・・一般論・現代の常識論で、考えると、権力側に都合が良い方向になっていると言うことは、この世・社会に属しているなら、肌で感じているはず。

要は、組織、例としては大病院も信用できないという目で見ているために、それ以上の利の部分を病院側は風潮する事になる。

結果、その様にならなかったら、騙されたと思う、民・患者が増えると言うことになる。

この流れに、社会全体が成っている・・・理由は人間として大事な宗教観も、民・信者は馬鹿な方が良い、人間以下、動物の従順な羊でも子が良いという流れを創り出すし。

要は、医師と患者の立場は、当然、医師が高く、患者は低い、低い側は縋り・頼むために、医師側の顔色を伺い、言動は忖度した振舞に成るのは必然、勿論、病を治すために、従順な子羊を演じているだけ・・・治ったら忘れ去るし、治らなかったら、被害者として、騙された等と騒ぎ出す。

私は、一部の機械の医師とも言える、修理人になる・・・当然、ユーザーとの関係性が有るが、私は医師側だが、私の感覚だと、ユーザーより立場は下、ユーザーの無謀な我侭も聞き入れなければならない立場・・・最低でも、同じ目線・立場に成りたいと思っている。結果、その様な振舞を私がするために、結果的にユーザーから嫌われる事も多々有る。

何度か書いているが・・・疑問が有り、学びたいと考えた場合、当然、師匠的人を求めるし、弟子的立場で、教えてくださいと・・懇願し続ける・・その結果、ある程度の経験と知識が付けば、矛盾点等々を、打つけ師匠とも論戦する、同じ立場のレベルまで成れたら理想だと私は思っている。

男親なら、理想と思える、親子の関係とも考えている。

私の息子も、上の子は、40歳を迎える。そろそろ、親の私に論戦を挑み、勝つ程の経験と知恵を得ている歳だと思うが・・・・未だに挑んでこない・・・情けない・・・・

私が負けたなら、本当の意味で隠居・引退の時となる。

しかし、今は、家長として、力は衰え続けるが、踏ん張り続けて、徹して守り抜かねばと思っている。

三流で、無能な立場だし、願っても得れる知識も少ない・・当然、己の立場は解っているし、この立場でも得れる知識は得たいと貪欲に挑んでいる。

この様な努力をする必要が、無い一流で優秀な人が多い国が日本国・・・当然・先に書いた、私の近場の和割りの状況と違い・・・自業自得という基本を心得た上の言動・・環境から、周りから騙されたという方向には成ってないと思う。

もし、成っているなら、どういう意味での一流で優秀なのか???と成る。

私は、人間で三流・当然、多くの問題も失敗も有るし、その為に、背負っているものも多い・・・一流なら、背負える背も余裕が有ると思うし、身軽だから、身軽な振舞が出来ていると思う。

しかし、何故か、手を差し伸べてくれる人とは見えない・・・これが不思議・・・

強く、手を差し伸べてくれと思い、努力したら・・当然、騙したとなると思う。気に入られるために、忖度をする。この忖度は、当然、嘘に成る。

これを肌で感じていたから、母は老いたらら、身を飾り、金を持ったなければ、人は手を差し伸べてくれないと言っていた。

ボロボロの汚い、老婆には手を差し伸べないと言うこと・・・

人は、魅力を感じるから、手を貸す。この魅力の捉え方が、現代は一極方向だから・・・その方向を目指すことになるし、その様に粉飾、身を飾ることになる。

要は、必要な嘘・・・・方便とも言える。

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