何時もの様に・・・モンキーで散歩・・・・
今日は、市内を流れる、沖の旗川を南下・・海に出たら・・西方に走り・・筑後川河口から、北上・・・・
川下に有る・・新田大橋を目指した・・・・しかし、途中・・川がそれを遮ったので、川岸を東方へ・・・・自然に、大川の市内に向かう事に成った。
ウロウロの散歩を続けていたら・・・急に、叔父が言っていた、母の父母が眠る納骨堂が頭を過った・・・前回、地図を書いて、私に教えてくれた、叔父の顔も浮かぶので・・・・
母の父母が眠る、納骨堂に・・・・・・探し出す事が出来た・・・・私のイメージで納骨堂の規模が有ったが・・・その規模に対して、小さ過ぎる・・その為に、見落としていた感じがする。
中学校の頃、一度、行った事が有り・・・その時は田んぼの中にポツンと有ったが、今は家が周りに有り・・・又、家より小さいので家の陰で見えない状態・・・・何度も探していたが解らなかった理由が解った。
又、私の記憶だと、父が運転する、サニーで行った覚えが有ったが・・・今、見ると軽自動車でも大変と思える、狭さの道に成る。
離合も出来ないし・・・Uターンも出来る場所が無い・・・
自転車が離合できる位の酷さと思えば、解ると思う。
一つ、心残りの部分を解消する事が出来た。
母の父・・・私から見れば、祖父に成る・・・祖父からは色々な物を頂いた記憶が有る。
技術者で手が器用で何でも作って居られた・・・戦中にラジオを作ったり・・・色んな現代では家電品と言われる物を手作りされていた人・・・
私は、ダンプカーを、木材で作って貰った・・・荷台が持ち上がり、土砂を落とせるように成っていた。
又、亡くなった後に、手の器用さが、私が引く継いでいるとの事で・・・祖父が作った、手作りのハンマー等々を頂いた・・・・全ての道具の金属部分に・・・タガネで名前を彫金してあった。
昔は、道具さえ、手作りが普通だったとの事・・・現代は恵まれていると思うし・・・焼き入れ・腰入れ等々・・・経験がものが言う世界だが、昔の職人はそれが出来て、普通と言う時代・・・現代とは意味が違う・・・・
先人の人達に、お礼も含めて、手を合わせる・・・その場所が有るだけでも、私は感謝だと思っている。
又、私の歳に成ると・・・叔父・伯母等々も、亡くなる頃に成る・・・当然、手を合わせる、之が、恩有る、人への感謝の思いだと私は考えている。
以前、書いているが・・・姪に当たる人が・・・叔父の遺骨を納骨堂に収めたいと北九州の力来られた時が有る。
その人にも頭が下がるが・・・・その人の夫に成る人の寛容さにも頭が下がる。
話を伺うと・・・長兄の実の娘が、私に成る・・・他に兄弟も無い・・・しかし、親には兄弟が数人いる。
その中に独り身の叔父が居たという事・・・長兄の実子としての責任を果たしたいと、私が納骨堂の責任者だった時に来られた・・・
責任を感じる・・・凄いと思うし、現代中々、居られない・・・基本・責任から逃げようとする人が多いのが現代・・・・頭が下がる理由に成る。
又、この役の時に、納骨堂で参拝の人の中に、地元の人で無い、方々も来られる・・・中には、本家は誰も居なくなり・・・子孫と言えば、私しかいないと言われる人も居られた。
今後の事も有るので、住所氏名を記入していただき・・・今後、納骨堂の連絡等々させて頂く胸を話すと、私の生きている間は対処したいと思うが、代が変われば????・・・当然、努力はすると言われるが、現代の風潮を考えると難しい可能性が高いとも言われる。
納骨堂・・・誰かが守して行くと思うが・・・・守する人たちは増える事は無いと思うし、減り続けると思う。
理由は、先に書いている、現代の風潮を感じるとに成る。
昔、同情するなら金をくれと、有ったが・・・恩を受けた事を感じても、形として返す事が出来ないで、亡くなられる人も居る。
その恩に報いるのは、後世の人へと思うし、又、その人には手を合わせるしか感謝を伝える事は出来ない事に成る。
以前も書いているが、利己の反対が、利他に成る・・・この言葉だと何故か、耳障りが良い・・しかし、言葉を変えて、負他と負己と書くと・・・きつさ・辛さ・人間の欲の深さを感じられる。
利を他にとは言えるが・・・負は己にとは中々言えない・・・
言葉の奇麗さ・・きつさ・・・意味は同じであっても、耳に聞こえる響きで変わる。
先人から恩を頂いた・・・私が、墓所も知らない・・・三流だし、劣っているから、仕方が無いと思うが・・・それでも、知る努力は必要だと思う。
勿論、一流や優秀な人は、努力の必要ないし、当然と言うレベルに有ると思うが・・・
劣っている、三流の人間は、人の振舞いから学ぶ事に成る・・・・その為に、この様な場所を選んで、無知を埋める努力も必要と言う事に成る。
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