先のブログで幸せを私は「さち」と取るようにしている。仕合せと言う事も有る。人との関わり、他との関わりで、積み重ねた、幸と私は捉えるようにしている。基本この二つで考えていますが後一つ倖せが有るが、此は幸運度が高い、事に使いたいと考えて居ます。何度も書くが、幸感の虎和え方が違う・・・・環境が良い、その証拠が数値的な、唯物的部分で感じるのか???私は唯心部分の心で感じる物だと思う。どんなにリッチな生活環境を手に入れても仕合せとは限らない、理由は、仕合せは己だけで手に入れる事が出来ない、勿論、同じ方向性の人だけでも得る事が出来ない。個性が絡み合い、それでも良い方向に進める為の民度が必要と思うし、当然教育も必用と考えている。現代、くじ引きに当たるような、偶然に獲た幸を、幸せと思い込んでいる。己又周りの人達で獲ようとしていない・・・・個人のスペックで全てが決ることになる。己以外は敵・この様な発想になるし、人を共に居ると言う事はその人を利用したいと思っているという事に成る。あから
何度も書いているが、人は掛け替えのない宝で有る。人を創り出すことが出来るのは、我々人間だけに出来る事に成る。掛け替えのない。唯物方向に幸福が有ると信じ込まされ、すり込まされると、優秀な消費者に成るだけ、人としての責務を果しながら消費するのは良いと思うが、責務を放棄して消費する方向に成るのが現在、その証拠が、少子化だし・高齢者問題に成る。物質的に恵まれていている日本国・・・・終戦後、焼け野原で、日々の食さえ難儀する時代には、この様な問題は無かった。人は、本心で解っていると思う。今の人は受け身の人が多い、その為に、今後の日本国の将来を考えると、幸せに成る可能性が少ないと感じている。未来に希望も持てない、結果、努力もしないとなる。何の為に、良い環境に生まれたのか????各自、意味が有ると思うし、使命が有ると私は考えています。其れを探すのも人生と言う事になる。
昨晩、労務士の先輩か電話が有った。国の補助・サービス等の問題、当事者になってが出来れば、サービスを受けられる・・・・緊急の場合も当然、サービスの範囲外になる。先輩との話でこの様な人が多いとのこと、特に一国柱で稼いだ人が倒れる・・・糧が無い医療費が発生する。必要経費は、当然、要領中にも発生する・・・優秀な消費者だったらどうなるか想像は容易い今私は、長期入院後、養生を行っているし、稼ぐ事も出来ない車の運転も出来ない。ドライバーも持てない・・・・こんな私が、生き延びれているのも、家族が居たからだし、親族が居たからだと思って居ます。本来、行政には緊急時の貸付制度が有る。しかし、血税の為、運用は忖度で行っている。私の場合、家族が居るし、確りしている、当然、家族・親族からの支援が有ると言う捉え方になる。補助・サービスも迅速化して欲しい、政治家の仕事になる。この様な事を政治家は理解しているのか?????国民も我身を太らせる事を求めている、当然、政治家も同じになる。民度を高め無いと、政治家も育たない・・・
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