水前寺 清子の昔の歌の歌詞で「ボロを着てても心の錦」と有る・・・・・
昔、人の生き様を謳った歌詞が沢山有った・・・・・・森 進一の歌の歌詞にも「人の傘に成れよと育ててくれた母」・・・・・
等々・・・・沢山有った・・・・・
時代を反映して、ヒット曲として有るし、歌詞の背景にはその時の、時代背景が見えたりする・・・
勿論、現代という時代背景に、応じて、新しい歌詞が、出てきて其れを社会が受け入れるかに成る・・・
時代背景でも、主流と言われる、部分が変化している事に成る・・・・
先に書いた「ボロを着てても心に錦」この歌詞だけを考えても・・・・人により、考え方が多々出て来る・・・しかし、私の息子位の年齢では、たんなる、やせ我慢位の思いしかない・・・・その事は最終的には「馬鹿」で片付ける方向性に成る・・・・
世代差で考え方・価値観が変化している事に成る・・・・
レベルが高い事は、レベルの低い事に対して、正確に見ようとしないし、無視する方向に成っている感じがする・・・・本来、レベルが高い事は、低い部分を含みでの筈だが・・・・・大や小を兼ねる之が当てはまらない、レベル等々が現実には存在している事に成る・・・・
住む世界が違うと・・・別の世界を、イメージできない人が増えていけば、格差の壁を高くしていることに成る・・・・
向上心という言葉が有るが、この向上心は、何を目指すのか????之も、本来、色々有るし、知らない世界を知りたいと言う、人としての本能の部分に成る・・・・しかし、自分を基点にして言葉から上を目指す・上のレベルを目指すと考える人が多い・・・この上が各自の価値観で変わる部分・・・・上を知らない世界と考えれば、普段、気にも留めない・・下のレベルの実状を知る事も向上心に成る・・・・
以前も書いているが、向上心が、結果、自分自身の思う様な世界を作る事が最終目的なら・・・・近隣の国に有る様に、一人の独裁者の様に、好嫌いで人の命まで自由に出来る事を臨んでいることに成る・・・・
しかし、独裁者的、生き方を、何故か人は望む・・・・
この人の本性を、戒める為、昔の歌の歌詞には、その思いが有ったように私は考えています。
民主主義・社会主義・・・・資本主義・共産主義・・・・等々、色んな主義が有るが、基本と成る人の本性・・・この部分を変える事は出来ない様だ・・・・
人間学を、一生をかけて勉強を続ける・・・・人とは何か?????・・・・・
その人が、集まり、集団・・・・社会となる・・・・・この社会は一人一人の方向性で決る・・・
何回か書いているが、ブランド品で着飾って、涼しい顔で・・・・地獄図の様相に成っていない事を、願うが・・・・私の目からだと、その様に見える、之が悲しい・・・・・
幸せを求めている・・・・・この幸せは何か?????・・・・・・・勿論、人として・・・・・
この難題を、捜し求めている・・・・・・・
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