馬鹿にされる・・・馬鹿と言われる・・・直接的な部分に対して・・・どう捉えるか・・・
何度も書いているが・・・分以上によく見せたいと言う、慾が結果的に馬鹿にされたくない・馬鹿と言われたくない・・・この方向に進む・・・
之も書いているが、同じ位の知能障害が有る、二人を知っているが・・・一人は、大阪に居る困ったチャン・・・馬鹿にされるのを非常に嫌う・又その様に育てられている。
結果、出来もしない事を口で言う・・だから嘘つきと成る・・・又、それを利用して騙そうと言う人たちから、思う様に騙される。
しかし、騙された事が、又、馬鹿という証拠に成るので・・・隠す・・・・
もう一人は、親が、思えは馬鹿だから、自分で判断しない・・・尋ねられたら、馬鹿だから親に聞いてと育てられている。
今は、親が他界しているので、従兄弟の私の先輩が面倒を看ているが・・・対外的問題を起さないので、大阪の困ったチャンとは大きな違いに成る。
又、最近の傾向で・・・平等等々が幅を利かせている・・・その結果・・・己の分は解っていても・・・取り巻く環境を解っていない場合が多い・・・
この部分が有るから、何か問題が有ると、取り巻く周りのせいだと思う事に成る。
仮に、家庭・家族と限定すれば・・・子供二人・・夫婦・・・この四人家族というパタンも有るし、それに、祖父母が入る等々有る。
家族の人数も色々である。
勿論、構成している人のレベル・立場も色々・・・・子供も乳飲み子からに成るし、当然、病が有る無しも有るし・・・・祖父母の介護の有る無しも出て来る。
取り巻く観環境も、本来は各自で違う事に成る。
己の力が100有ると仮定しても、100を己の為に使う事は出来ないのが家庭である。
己は100点だが・・・家族全体での採点は、マイナス10点と言う場合も出て来る。
税金申告等にも、扶養家族という欄が有る・・・・之が意味する事は、仮に扶養する二人を込みの家族で、100点の採点を取ろうと思うと・・・・稼ぎ手は300点を取らないと、計算が合わなくなる。
稼ぎ手が多く成れば、当然、点数も低くて済むという事にも成る。
分を知るという事は、取り巻く環境も含めての分と成る・・・
しかし、最近は、この分まで、平等という論調が強くあるのが、私は不思議でならない・・・
それなら、私は、障害が有るが、稼ぎ手として、多くの扶養家族を養う、之を苦労と言わないで良い世界が、現実に有るか?????・・・・手を貸す人が周りや行政に有るか????
現実は、無い・・・・
無いから、扶養家族を持たない、家庭を創らない生き方が、良いという流れまで存在している。
若し、家庭を持つなら、夫婦、二人の稼ぎ手で200点を取れば、当然、余裕が出来るし、海外旅行等出来るという、考えも出て来る。
先に書いた、馬鹿にされない・・・生き方を考えれば、どれを選ぶかは各自の勝手に成る。
私は、馬鹿にされても良いと考えている・・・だから分相応と何度も書いて来ている。
分が、低い事で、馬鹿にされる事は、当然だし、恥ずかしい事でも無いと考えている。
何が、恥か????・・・私は、分以上な妄想をして、それを現実に直ぐにしたい等々の振舞いで・・・出来なかった時が、恥だと考えている。
この部分は、基本、直接的に言われない・・・影や心で、馬鹿と言われる部分に成る。
この言葉に成らない、心で馬鹿にされる、之を恥と私は考えている。
要は、人生の終焉・死に際して・・・最後の採点がされるときと考えている。
この部分が、大事だし、今は一場を・・・・・・と続けているだけ・・・・・
何度か書くが、聞くは一場の恥・聞かぬは一生の恥・・と言う様に、一場の恥より・・・一生の恥に繋がる、死にざまが大事だと考えている。
しかし、三男が心配である・・・・・
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