昨日までは、父の世話・・・・・・
その後は、嫁の里の親から言われている事をする。
今日はその事で、嫁が里へ行っている。
子供に手が掛かるのは・・・数年・・・その後は悪さ等々の処理で頭が痛い程度・・・
しかし、親は・・・違う・・・・寿命が延びている。
当然、加齢等で、耳が遠くなり、体が思う様に徐々に成って行く・・・この期間が、数年なら子育てと同じと思えるが・・・・長く成る場合も有るし・・・
一番の問題は、親が立場が高く・・・上から目線での、物言いに耐える事が出来るかになる。
当然、子育てを経験し、又、社会で、色んな,経験をして、学んでいれば、当然の事と考える事が出来るが・・・・
何故、私が・・・・・世話をしなければ・・・之を損と思ってしまう場合は、苦痛に感じる事に成る。
又、現代や、頭を下げないで済む、方法や策に長けた方向の習慣が付いている人も多い・・・
この様な、人と対応しなければ成らない・・・・若し、看る立場にこの様な人が居れば、当然、損と感じる人、上手に逃げる策を用いる事に成る。
之に対して、最終的、対応は、感情的に発言する。方向に成る・・・之が又、問題と押し付けられる方向に向う
現代の不思議は、責任を感じているから、最初から、問題や難しい部分を、言う・・・・之を聞き入れる人が居ないので、感情的に成る。
本来、この責任・義務と言う部分があれば、誰しも、問題点を心配して、発言をする。
子供に対して、他人は何も言わないが・・・責任と義務を感じている為に、親は、耳さわりの良くないことも口にする事に成る。
現代は、この部分が、薄れてきていると思う・・・・結果、一般的な耳さわりの良い、言葉で、話が進んで行く・・・・
その為に、責任感や義務を感じる人は、他の部分も押し付けられ易い・・・・
私の経験では、ポジション・・・自分のポジションを固定して、この場に居続けると考えている人が、結果的に、負の部分を押し付けられる傾向が有る。
時や場合、等々の瞬間的に変化で、自分のポジションを変動できる人は、直ぐに居なくなる。
ポジションも対外的部分や、自己自身と、別けている人も居る。
この様な時代に成れば、凄い人と思われるポジションに居るから、責任や義務も感じているとは限らない事に成る。
問題が発生すれば、タマタマこのポジションに居る・・この言葉を使って、逃げる方向に成る。
本来、与えられたポジションでも、タマタマに成るが、厳然と責任と義務は発生しているはず。
先の言葉が、逃げで使えると成っている、今の社会が基本、問題から逃げる、又、見ようとしない芳香に成っている証拠にも成っていると思う。
前回、書いていたが・・・・父が雇っていた、父の後輩に成るが・・・・次男さんを亡くされた・・・合う都度に、私に、お前だけと、いつも阻害的に言われていた。
私は、障害が有る、息子さんを三人持っておられるし、又、親族も居ない・・・・親が子供を最後まで看取れる、可能性は少ない・・・・その為に、将来に対して、何か策を考えていなければ、他人の私は何も出来ない。
之を言い続けていた。
縁起でも無い事を、私が話すと、嫌われていたが・・・
次男の納骨が終わったと、我家に来られた時に、お前しか、難しい事を話す、人が居ないと、言われていた。
現代は、話で終わる、これを会話と言っている。
それなら、耳さわりの良い、言葉・話の方が良い・・・之が意味する事は、どうせ他人、その人がどうなろうが、知った事で無い・・・之が有るから、この様な会話が成り立つ。
勿論、道でタマタマ縁した人等は、この様な会話でも良いと思うが・・・・
話す相手でも、変る部分が有ると思う・・・
大事に人だから、又、将来を危惧するから、意見も言う・・・之を歯向かっていると感じる人が、多いのも現代に成っている。
結局、会話までは出来るが、対話が出来ない、環境に成っていると言う事になる。
通りすがりの人なら、奇麗で耳さわり、興味を持つ、会話で良いと思うが・・・之が全てでは無いと私は考えている。
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