母を看取り・・・・父も今後は、我家で、介護等を行う事に成ると思う・・・・
他人の老婆も看取る事が出来・・・・感謝している。
何度も私は、分を知ると書いてきている。
自分の分を知るという事は、生きる場所も知ると言う事になる。
当然、時間軸も必要に成る。
人は、先広がり・・・未来が明るく広がる、之に希望を持ち、又、当然と考えて、生きている場合が有る。
何度が書いているが、生きていれば、当然、病気も怪我もする・・・又、歳も取り、加齢に向って行く・・・・
この生きる時間軸を、各自、イメージすれば、当然10年後も生きているだろうと思えば、10年後の住む場所の、環境がどうなっているかもイメージする事が大事に成る。
私が地域事に、熱心に関わっているのは、これを知る為と、先が広がる方向を私は求めている為に、微力だが強力をしていると言うことに成る。
各自、今の年齢も違う・・・・当然、生きれるであろう時間軸も違う・・・
仮に、二十代なら50年後も生きている可能性が高い・・・・それなら50年後の、環境・地域をイメージすれば・・・・何が見えるかに成る。
何度が書いているが、逝った母が、言っていたのが・・・昔は、歩ける範囲で、生活に必要な物が手に入った。
しかし、高齢になり、車の運転も怖くなったら・・・急に、地元、足元にその様なお店がなく成っている事に気付く・・・・
人とは身勝手なものだと私は考えている。
動ける時は、少しでも良い、安い、これを求めて、動き回る・・・・結果、足物とお店が無くなる。
動けなくなると、今度は、何故、足元にお店が無いかと、愚癡が出る。
商売も、儲けを求めて行っている所も有る・・・・しかし、小さな、地元のお店は生活の糧の商売に成っている。
社員を食わせ、儲ける、これを求める商売と・・・・自分達が食べていければと言う商売とが有る。
儲ける事が出来なければ、直ぐに撤退・・・・・・・食べて行くことが出来なく成っても最後の最後まで、続けようとする。
結局は、母も、将来に対してのビジョン・イメージが間違っていた事に成る。
この地に生きる・・・当然、これも、各自の価値観・・・・地は移動できると言う人も居るし、其れも正しい・・・・しかし、この地に骨を埋めると、考えている人も居る。
10年後の、我が地域をイメージしている・・・当然、昔から済む地元と言う人は、減る、又、後継者が居ないと、独居老人が増える・・・その世話で忙しくなると思う。
恵まれている点は、人口が増える、要因が有ると言う事・・・・家が建つ、新たな人が入って来られる・・・この可能性が強く成って来ている。
新たな、血を我が地域も、入れて行く事が大事だし、又、色んな価値観の人を尊重し、共に生きる、これも大事に成る。
今と言う、限定した一瞬で、物事を判断する、価値観が増えている。
人は、時間の中を進むから、生きている・・・・今は過去に成る、未来に希望が持てるか、持てないかは今の、行動になる。
この未来の、感覚が、一ヵ月後か、10年後かの違いが、その人の価値観にも成る。
私の息子達にも口を酸っぱく言っているが・・・時間軸が短過ぎる・・・結果、自分が老いる事、など、想像もしていない・・・・
何故か、高齢者との縁が少ない為・・・・又、死ぬ之も考えていない・・・之も死人に縁しない為・・・・
人様を通して、学べる点が多々有るが・・・其れを無駄だと考える人が多く成っている。
その為に、何度も書くが、一般・普通と言う基準が、狭くなって行く、この部分に入らない事を不幸と現代は言う・・・
不幸なら、生きている意味が無いと考える人も増える。
私は、異端児だし、この事は、普通とは違う・・・しかし、何故か、人様に感謝できる。
感謝出来る事は、結果、幸せだと言うことだと私は考えている。
同じ現象でも、人で変る。ある人は怨む・・・有る人は感謝・・・之が人の面白さに成る。
人の心が、感じる部分だが、その判断に、頭が介入している。頭に何を入れているかが問題に成る。
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