入院して最後の日曜日になる。記憶だと4月14日からの入院、約一年間の入院に成るし、希望通りに一年以内の退院に成った。感謝だし、今まで色んな人達の入院見舞い等も続けていて、色んな事を学ぶ事が出来た。私の関係者だけと思うが、殆どの人が、諦め・精神的に滅入っている人が多い、昔から「病は気から」と言われているが、気が滅入っているなら病は退散しないという事にも成る。裸で一人で生まれ・・・生涯を暮らし、最後に、裸で一人で死んでいく、生きて居る間、何もしていなければ死ぬときに持って行けるものも無い・・・唯物的な物は持っhて行けない・極端な話、今まで側に居た人々も、落魄れれば海の水が引くように居なくなるのも、今まで多くの人を見て解っている。落魄れる避ける事が出来ないのが、老いと病と死に成るし、当然、生きる事も大変、しかし、この部分は粉飾も可能のために対面だけは保つ事が出来るが!!!しかし、対面・粉飾・見せ掛けという事、良い時は人は集まる。しかし、この様な対面を気にして粉飾していた人も厳然と老いるし病にも成るし死ぬ・・・この時、当然、落魄れたとなるし、周りも見方は裏切られた、期待していたが、要は寄生虫としての宿主の欲が叶えられなくなったと、別の宿主を探し出す。親子間もこの関係性が有るので、注意わtが必用・・・私は、一人の人間として、人間AND人間と考えている。家族も夫婦間も同じ捉え方をするようにしているし、当然社会人としての、責務、夫婦・家族・親族・地域と私の能力ではこれ以上広げる事は出来ないが、最後は先祖守の墓守と考えている。共にと言う感覚・・・家族の長として私が出来る事は責務が有るので、無理しても行おうとする、しかし、無理も無謀に成らない様に必用だし、無理を家族にも見せるのも大事だと思っている。物事は簡単に進まない、無理もしなければならない、この汗を流す姿も確り見せないと、息子達の悪さの都度に、土下座するように詫びを入れ続けr姿を見せ続けた。子供達は格好付ける為見栄を張るのは意味が無いと教えたい。この様な親なので子から嫌われるとも解っている、所詮最後は裸で一人で死んでいく覚悟は付いている。この分が無ければ、見栄を張り、人の注目・歓心を得たいと成る。しかし、現実の最後は・・・私は孤独を覚悟していたが、結果、家族が向い入れてくれた。捨てられても現代なら当然・仕方が無いと言う時代・・・何故か、私は恵まれ、守られ続けていると思う。感謝になる。
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