言っての見せてもどんな手段を使っても駄目な人が居る、目に見える問題なら配慮も出来るが、普通に装っている人も居る・・・・配慮も出来ないので、普通の挨拶程度の会話、私は試みる、直ぐに耳優しい、単語で、話を盛り上げようとする、基本、返答が「ハイ」と同意の単語を無意識に長い経験で、身に付いている。偏屈な私は「なぜ」と尋ねると、己考えも無い、この言葉を出せば、この単語を駆使すれば、普通に見られる、偉く見られる必要と思われるという危機感で、本能的に身を守るために、この様に成っている人が多い・・・昔は、雇用条件も人各々・・・・その為に下働き、お手伝いの能力の人も雇用していた。しかし、現代、この下働き同じ条件で雇用した人間に指せることに成る。下働き、此をどう捉えているのか???プライドが高く優秀と思っている人ほど、気にそぐわない、コンプライアンスと捉えてしまう。人はどんな手段を使っても永遠の子泣き爺の様な人も居る。その様な人がドンドン、社会が容認出来ない状態に向っている。本当に一流で優秀と言われている人をこの人のバックアップ・支えに成るものだと私は思って居るが、一番近付けさせない人達の思うし、上層部の澄んだ水をお欲のが我々、上は見ても、下は見ない、此が現実・・・・日本国もこの方向に進んでいる、昔は民の為のガバナンスだが今は己の為、集団の為と変ってきている。
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