2021年12月3日金曜日

諦めが肝心・・・逃げるが勝ち・・・

 諦めが肝心・・・逃げるが勝ち・・と言う言葉が有る。

之も生きる為には必要な事だと思うが・・・何のために、諦め・逃げるのか????之が問題・・・・殆どが自己保身の為と私は最終的に思う。

有限性の有る・・己を守る・・・100年後は、この様に存在しない、灰に成る身を守る・・・・勿論、生きる為には必要とも思うが・・・要は、何の為に生きるのかと言う・・生きる基本的価値観で、変わると私は考えている。

私も、私自身で、決めた価値観に従っているし、その思いで子育ても行ってきた。

勿論、先に書いている様に、己の先は灰に成ると言う事も確り理解しているから、後継者として、人を創る・・・その為には実子が良いと考えて・・・五人の実子を儲けた。

勿論、子供も、己の価値観が有り個性も有る・・・それを認めながら、私は後継者として子供を育てたつもりである。

一番大事な事は・・・息子達も永遠で無い事・・先は灰と言う事・・・その為に何が出来るか????又、何をするか???と成る。

息子達も四人は妻子を儲け・・・子宝にも恵まれた。

未来に繋がったことに成る。

勿論・・100年先は判らないが・・・この年数には近づいたと言う事に成る。

先い書いたが、諦めが肝心・逃げるが勝ち・・と有るが・・・肝心・逃げるの意味が、未来に繋がると言う意味も有るが・・・その未来も世紀を跨ぐ程の年数で無ければ、肝心・逃げる意味が私には解らない。

要は、その場を凌ぐ、一時の事で、この様な策を用いるべきでは無いと思っているし、息子達にもその様に言い聞かせている。

男子として生まれたなら、徹して守り抜く、守り手に成って貰いたいと私は考えている。

しかし、現代は、守られる側が得だ、だから力を付け取り巻きを創り、その人達から守って頂く・・・それも、当然と言う考え・価値観も増えている。

要は、力は守られる為のものと言う捉え方に成っている。本来、力とは、相手を守る為のものと私は考えている。

守れないから、力を付ける・・・守りたい人が居るから、力を付ける、欲しいと願うと私は考えている。

息子らも、力は無いが、背伸びして守るべき人を得る事が出来た・・又、責任・義務と感じている。勿論、当然と言う事・・・・それが結果として、彼らに力を与えているし、力を付けさせている。

守手は、守るべきものが増える程、当然、力が付けると言う事に成る。勿論、怖いし、逃げたい、諦めたい、しかし、それに打ち勝つ勇気が、結果として息子達を育てていると私は考えている。

無謀で無い程度の、勇気・・・彼達は無謀と思っていると思うが、私はマダマダ、生ぬるいと考えている。

人は、人が育てると言われる・・・その為には背負う覚悟が必要員ある。

四男も仕事帰りに寄り、今、アパートに向かったが・・・明日は五時半からアルバイトと言っていた。

彼も、己の分で頑張っている。

その対価は、若嫁・娘達に行っているが・・・彼は確りと己を人として育てていることに成る。感謝できれば、凄いと思うが・・・マダ・マダ先は長い様だ・・・・



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