5時半に近付くが・・・四男が来訪しない・・・・昨日、私の車でアパートに帰っている。
今朝、アルバイトが早いので・・・我家に来てから、アルバイト先に向うと言っていたが・・・数度電話をすることに成る。
寝坊をしていた様だ・・・直ぐに向うと言う事で・・・・親バカな私は待つ事に成る。
6時前・・・駐車場等の灯かり・又彼のバイクを倉庫から出して、準備をしていたが・・・四男から電話・・・直ぐに出て来てとの事・・・
外に出ると、このまま・・・車で向かうから横に乗って来て帰ってくれとの事・・・
したがう事にしたが・・・アルバイト先に向う途中・・・四男から、携帯電話の画面が壊れた・・・昨晩アパートで落としたら、画面が~~~~との事・・・・
明日、修理に持って行くとの事だが・・・・お金が必要との事・・・当然、ギリギリの生活をしている彼達には無い・・・
何時も言うが、ギリギリの生活を行う・・・之は当人達の考え方・価値観に成る。
100万稼いでいても、ギリギリの生活を行っている人も居る。
私の父も事業を行っていたが・・・手形決済の為に毎月数百万のお金が必要だったし、当然、それ以上稼いでも、支払う事に難儀していると言う事は・・・ギリギリの生活を行っていたと言う事。
10万しか稼げなくても、1万円、毎月貯蓄が出来る人も現実には居る。
1億稼いででも、毎月100万円の借金を重ねなければ成らない人も現実には居る。
現代は、稼ぐ金額で、生活が楽か苦しいかを決めている。勿論、各自で稼ぐ金額は違うが・・・この部分を極端に一極化していて・・・この金額が一般的・普通と言う価値観が蔓延している。
しかし、先に書く様に、その金額を稼いでいても、ギリギリの生活を行っている人も居るし、楽な生活をしている人も居る。又は、足らなくて借金を繰り返している人も居るし、逆に多くの貯金を毎月続けている人も居る。
要は、現実の目の前に有る、お金の使い方に成る。
この部分を、最近の人は、学んでいない・・・何を学んでいるかは、何度も書く様に、優秀な消費者として、最低限、之だけは必要と言う、何が、当然、消費に繋がる部分の固定化に成っている。
結果、固定化された消費をする為に、お金が必要と言う事に成っている。要は順序の逆転に成っている。
お金をどう使うかで無く・・・消費が有るからお金が必要と言う流れに成っているし、消費部分は、社会が扇動や誘導で、年々拡大していくことに成っている。
昔の事を書くと、笑われるが・・・・私の幼い頃・・・若し、今の様な電子レンジが有ったら・・・・便利か????・・・便利でない・・・理由は仕えな空に成る・・・何故????・・電子レンジが消費する電力を、一般家庭だと供給できなかった為に成る。
当然、エアコンも使えないと成る・・・電気は有っても、供給電力が足らないと言う事に成る。
今、何故出来るか・・・供給電力が有るからに成る・・・何故か???当然、電気量を昔に比べて支払っていると言う事に成る。
しかし、之が今では、普通と成る。
昔の生活を経験している人が、言われる事に・・・昔の生活が出来るなら、現代、大金持ちに成れると、殆どの人が言われる。
之が意味する事は・・・・今の生活は、その当時から見れば、想像を絶する裕福で幸福な生活をしていると言う事にも成る。
しかし、現代を生きる人は、普通と感じているし、今以上に成りたい、それが、裕福だし幸福だと思っている。
この価値観が・・結果として、幸福感を感じ難い体質にしているし、永遠の貪欲に消費を続ける・・・餓鬼道の生き方を人間にさせていることに成る。
若い四男は、まだ気づいていない・・・この生き方が、人として当然と思っている。
結果、想像・予想もしていない現象が起きると、対処できない事に成る。物を持つと言う事は、壊れる可能性が有ると言う事・・・当然、予想も想像も出来る筈だが、それも無い・・・結果、携帯電話が壊れた・・・修理人の私の経験から言わせると、壊れる事を想像している人は、中々、壊さない・・・・逆に壊れる人は、物に対して保守メンテ等を考えていない人に多い・・・結果、壊れた時の対処が出来ない・・お金が無い等々と成る。
この様なタイプなので・・・四男は、旧車のバイクを欲しがっている。持っていて値が上がるから損が無いと言っているが・・・・この様なタイプが選ぶのが・・・稼働するかも判らないようなバイクを買ってしまう。
動かない、当然、動かしたいと成る・・・しかし、純正のパーツも無い・・・勿論、高いお金を出せば有るが・・・買えない・・・しかし、どうかしたいと言う欲が有る為に、己で無理して出来る範囲を行い続けるが・・・最終的に維持が出来なく手放す・・・
この業界の知り合いが居るが・・・出来るだけ、触らず、放置していて値が上がるのを待てる人で無ければ、損をすると言って居られた。
勿論、放置する為にも、場所等の管理できる環境が必要・・・その環境を作り続けると言う事は、この部分でもお金を使っていると言う事・・・・その為に、この部分の経費を押せえられる人で無ければ、損をすると言って居られた。
現に、バイクの旧車・・・現在300万で、使用に耐える物を手に入れた・・・当然、公道の乗りたいと成る・・・登録費等々が先ずは必要に成る。
公道を乗る為には、毎月の保険料も必要・・・数年に一度の車検費も必要・・・一番の経費は、都会なら、バイクを補完できる場所の経費・・・・仮に毎月、2万必要なら年間24万円に成る。10年持ち続ければ・・・240万円に成る。
この様な出費に耐える事が出来るなら・・・旧車を楽しむ事も出来ると思うが・・・現実は余程のお金に余裕がある人以外、無理と言う事に成る。
現代は、物を求め、消費者としての部分を刺激し続けている。しかし、現実に物を持てば、維持管理が必要に成るし、保守メンテも必要に成る。
この部分を、他に依存すれば、それ相応の対価を要求される。
この部分まで、意識し理解していると言う前提で物を持つ必要が有ると言う事にも成る。
しかし、四男は無い・・・その結果、壊れた、その後の処置は、他に依頼すれば簡単に出来るが、求められる対価が無いと言う、現実に今は成っていると言う事・・・
世の中に無い物を欲しがる・・之が意味する事は、その後の維持管理も、無い物を求め続ける事に成る・・・・世に無い物を求めると言う事は、不可能に近いが、現代、お金が有れば、可能であるが・・・その対価は、貧乏人の想像を超えている。
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