2020年5月23日土曜日

上を見ればキリがない・・下を見てもキリがない

己の立場、ポジションをどう捉えるか・・・私は、基本の場、生きる場だと考えている。

勿論、その場で生きれば、色んな問題も有る・・・問題をどう処理するかが、私の責務とも考えている。

勿論、三流で、無知の為に、自ずとポジションは解ると思うし・・・その場所の高さ等々を知っても意味が少ないと私は考えている。

己の守る場を死守する為に、私の存在が有ると考える事に成る。

昔から言われている・・・餅屋や餅屋・・・・

勿論、社会を構成している、色んなポジションが有る。上も見てもキリが無いし、下を見てもキリがない・・・・

己の場を、守り支える事が、出来る・・・之が人として最低限の、義務だと考えている。

しかし、何故かその場を支え・守る立場は、見え難い・・・場の上で大騒ぎしている人達が目立ってしまう。その様な事を行っている人も、少なからず、俺は支えているという思いが有る筈。

しかし、足場を支えている部分に目が向かない人の特徴とは・・・向上心と言う言葉を盾にして、上のポジションに向かう、悪く書けば、逃げる・・価値観を常時持っている人が居る事・・・・その場での独裁者と言う事だし、上の独裁者を目指すと、公言している事に成る。

之が、大陸的・価値観に成る・・・・この様な人をリーダーとしてしまうと大変化事に成る。

要は亡国の人を輩出し続ける事に成る・・・・理由は、有る限られた集団の中で、上のポジションを向上心と言う、奇麗ごとで目指す・・・結果、集団の上のポジションを得た・・・・しかし、人間の欲は深い・・・・別の集団が良く見える・・・結果、己の集団を捨て、別の集団のトップを目指す。
寄生痛と言う立場で考えれば、この宿主から美味しい部分を吸える立場に成ったが、別の宿主が見えだす。隣の宿主が美味く見えれば、当然、移る為の方策を考えだす。

生物としての本能に成る・・・勿論、人間も生物なので、この部分が有るが・・・之を理性が抑制している。何故、抑制するのか、理由は、亡国方向に成るからに成る。
集団を滅ぼす方向と言う事・・・この理性を高める教育をしているか????生物としての本能部分を教育しているのか????・・・之が、子育ての大事な部分に成る。

要は、人間は、宿主の本体に成る、覚悟の教育をしているかという事に成る。

しかし、今まで、色んな集団・組織等に、属して来たし、その中で人々の言葉を聞いてきたが・・・・生物としての本能を擽る、方向の言葉を吐く人の多い事に驚く・・・又、それを信じ、従おうとする人の多さにも驚く・・・・

三流で無知な私が、言えるかは判らないが・・・・扇動・誘導に振り回される何も考えない、己の足で、立とうと思わない、奴隷以下の立場に居る事を、良いと思っている価値観を何故、疑問視しないのかと・・・思う時が有るし、鬼畜以下の生物に見える時も有る。

要は、何を教え、学んできたか????・・・・子供の時の教育・環境が大きく関係していると私は考えている。

何度も書くが、演歌で森進一が歌う「おふくろさん」の歌詞に有る・・・人の傘に成れと教えてくれた母・・・・この様な教育を受けたかにも成るし、昔は、この方向性で育った人も多い・・・


「情けは人の為に成らず」この言葉の解釈も、現代では、人様に施しをしても意味が無いと思っている人が多い・・・之も教育に成る。
本来の意味は、己に帰って来るので、情けを人々にしていきなさいと言う意味に成る。

要は、与えられた、場所・・・当然、問題も多々ある・・・それを解決方向に向ける立場は、当然己と成る・・・己の言動が、この方向に向かうかが問題の本質・・・

しかしに、何度も書く様に、人間も生物であるし、その本能も厳然と有る・・・・己だけ富を得たい等々、生物だから仕方が無い部分と思うし、又、間違いも失敗も当然起こす、存在、この様な本質を持った、ものと書くが信頼し続ける事が出来るか、之が人しか出来ない部分に成る。
理性が、人との繋がりを保つ手段が無いという事に成る・・・・

繋がりが、信用・己の我欲・見栄等の部分での繋がりなら、当然、亡国方向に成る・・・

省は、その場の縁の下の力持ちと言われる立場を求める人が居ないと、集団自体の存続が出来ないという事に成る。

神輿の上で、右・左と指示しても、担ぎ手の動きが結果に成る。

若し、神輿の上で支持する人が、各々違う方向を指示する等々も出て来る。

要は、略全ての人が、担ぎ手の方が、神輿としては動きやすい環境と言う事にも成る。

民主主義とは、本来、担ぎ手がリーダーを選ぶ事に成るが・・・神輿の上に乗りたいという人達が多く成れば、当然、神輿の上の人の、奴隷として動く人たちに成る。又は、弾きづり降ろす事だけを考える人達に成る・・・・この状態に成れば、誰が神輿を動かしているか????その部分が、居ないと成る。

之が、国として考えれば、国も現状も見えるし、今後も想像できる。
担ぎ手の立場は、今後を憂い、しかし、担ぎ続けるしかない立場と言う事に成る。

間違っても、この立場を如何霊とは言わない・・・私は、崇高な人達だと思う・・・

与えられた場を、死守する、守護神に見える・・・・


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