2020年5月24日日曜日

「鍋をみてて・・・」

何度か書くが・・・みてて・・・みると言う言葉にも、見る・観る・看る・診る・視ると色々文字なら書ける。

勿論、頼む側の、意思を相手に伝える・・・この部分も能力が要るが・・・頼まれた方も相手の意思をどの程度、捉えられるかも出て来る。

本来、頼んだ方が、行えば、良い事・・・之を簡単な言葉で、頼んだ・・・頼まれた方は「はい」と答えた・・・・・意思が確り伝わったかは別問題での了解の「はい」の返事に成る。

聞こえましたという意味での「はい」の場合も有る。

之が、立場的に、上に頼む場合も有る。この部分は、己で処理できない・・・結果、上の立場、権限が有る立場に、頼むことに成る・・・・答えは「解った」と成っても、どの程度、理解されているか????・・・・この部分が不安が有るし、心配だが、結果的に、後で、処理できていない等々の場合は、頼んだ方が悪いと捉える、感覚が無ければ、相手を恨んだり、相手に嘘つき等々の、思いが出てくれば、集団として成り立たなくなる。

要は、頼んだ方も、捉え方に成る。

答えが「はい」だが。己が事が叶うかは別問題と言う事にも成る。

しかし、会社等の集団の中で、上司に頼んだ「解った」と答えられたが心配、何度も何度も、確認すれば、当然、怒られる・・・・

しかし、何故、この様な事をするのか、大事な頼み事・・・又は、上司が忘れポイ人と言う前提が有れば、当然、このような振舞いを受ける、確率が多くなる。

私は、サラリーマンの時は、己の責任で、勝手にしていた事が多々ある・・・・上司に確認し等々すれば、時間の無駄に成るし、直ぐに行動に移せない・・・・

勝手にしていたし、若し、損害等が出た時は、己の手銭で処理等も行っていた。

結果、会社でも異端児に成るし、之が、独立に向かう起点に成っているのかも知れない。

仮に、事務所のガラスが割れる、当然、勝手に業者に電話していた・・・上司が居ない等々が当り前・・・・手銭を出す覚悟が有れば、何でも出来る。

要は、放置した、結果、他に被害を与えたり、問題を与えたりする事の方が、私は危険だと思うし、その部分が問題と考えるタイプに成る。

私の考え方で、己が頼んだ・・・その結果は、頼んだ己の責任だと考えている。

しかし、最近は、責任を押し付ける為に、頼むという方向性が人が多い・・・結果、「はい」と直ぐに事得る人を求めている。出来なくても、頼んだ己の責任とは感じない人に成る。
この様な人が上司に成れば、当然、周りにはイエスマンを多く求める。
「はい」と答え、結果が出なければ、責任を押し付ける方向に成る。

逆に、頼みを叶えようと本気で思う人は、何度も尋ねる・・・己が理解できるまで、尋ねる方向性の人に成る。勿論、不可能と感じれば、出来ないと答えたり、危険性が有るので等々の返答が有る筈。

学生時代、教師が「解ったか」・・・生徒は「シ~~~~ン」返答が無い・・何度も教師は「解ったか」を繰り返し、面倒という感じで、生徒は「は~~~~い」と返事・・・
解ったら、次に行くと、進めていた教師が居たが・・・
生徒は殆ど理解していない、解っていない状態だったと思う。

要は、現代は、無知を認めたくない、恥だと思っている人が多い・・・・その為に、周りが解っていると仮定して、それに従おうとする人が多い・・・・結果、誰も知らない状態で、知っていると勘違いしている人も多い・・・

私は、己の無知を知っているのに、尋ねない、調べない・・・知っている振りをする、このような振舞いをする人が、バカだと思っている。

要は、全て己に責任が有ると言う事・・・・若し、権限が無いので、権限が有る人に頼んだが、結果が、思う方向で得なかった????頼んだ相手が悪いというより、その様な人と縁している、己が悪いという事に成る。

どうすれば良いか・・・・相手を変える事は出来ない、結果、己が知恵を出し、考え・どうすればと何時も考え続ける事に成る。

之を行えば、人間の本質・方向性等が見えて来る、何事も人様のお陰で学んでいるという事が解るようになるし、人様への感謝が出てくれば、解決している事に成る。

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