等々、巣だった子供達から、嫁が強い事を言われた。
上の子供達が、幼い頃、お前の様な振る舞い、行動をしていると、最後にはその子供達から、馬鹿にされたり、凄い事を言われる様に成ると、私が言っていたが、その通りに成った。
子供の為、又、周りの人達の為・・・この思いは解る・・・しかし、全て、分が有るし、環境が有るし、諸々が関係しての振る舞いに成る。
之を、愛情等々で片付けるタイプが、嫁である。
勿論、嫁として、私の父母に対しても、同じ扱いをしてくれるので、父母は非常に好んでいるし・・好かれるタイプに成る。
この部分を考えれば、良い嫁と成る。
私は、何度も書いている様に・・分相応だし、自己完結で考えていれば良いが・・・この様なタイプは、最終的に何かに依存している人に成る。
しかし、其れに気付かない・・・・之が、一番の問題・・・・私も同じだが、自分の価値観や癖、治そうと言う以前に、何故直さなければならないのかが、理解していない場合が多い・・・
自分の判断で、良いと思って、行っている行動・・・勿論、良いと思っているが・・・結果が悪ければ、やはり、自分の判断が間違っていたと成る。
先に書いた様に、各個人が自己完結で、終われば良いが・・・現実の社会は横や縦、又は血族、親族・集団等々の絡みが有るので、自己完結で終わる事が出来ない事が、殆んどに成る。
之が、人間と言う動物の、一番の違いに成る。
野生の動物なら、当然、自己完結で事が略進んでいる。
人間社会の場合、周りまで影響を及ぼすので、当然、解らせたいと、話等々、言う・・・之を、聞くか???当然、聞いていると成る。
聞いていて、何故、又と成る・・・・効いていないと考え、又、話等々 言う・・・・今度は効いたか???当然、聞いていると成る・・・
この繰り返しなら・・・堂々巡り・・・この部分を、子供達が嫁が理解できない為に、強い口調で言った、必要無い出て行け!!・・・・出て行くと嫁が成る・・・・
嫁は、世間と言うものをよく理解していない・・・上三人の息子達は、若い頃、悪ガキだったが、社会勉強を、人より多くしていると思う・・・
何度かパワーハラ等々のブログも書いているが・・・丁寧に優しく、話して、解らされる・・・之が最近は難しいと書いているが・・・
話を聞く、この状態で終わっている・・・勿論、指摘的、無い様だと、今度は一気に耳を塞ぐ・・・又、耳に入れば、今度は怒り出すし、責任転換の思考が働き出す。
指摘でも、聞き入れないなら・・・もっと凄い話、言葉に成るのは私は仕方が無いと思っていた。
未だ、子供達も若いと思う・・・・・何度が書いているが、人は背負われないと生きていけない人も厳然と居る・・・又、自立して生きている人も居る・・・又、人を背負わなければ生きれない人も居る。
この三種類の人間がいるとするなら、どれを選ぶか????・・・・今は自立した価値観で事を考えている事に成る。
勿論、強い口調で言ったと言う事は、最後は背負わなければと言う責任を感じているからとも言える。
この部分が、一番面白いし、学ばなければ成らない部分に成る。
何故なら、通りすがりの人にこの様な思いで、話すか???しない・・・・母親だからしているし、その事は、大事な人だからと成る・・・大事な人だから責任も感じているし、又心配もしている。
この部分で、相手、この場合は母親が、変化が無かったと成れば、当然背負う方向に成る。
変化が有れば、背負わなくてよい・・・・どっちを選んでいるか、当然、背負わなくてよい方向・・・・
この選ぶ、部分が、動物的な自己保身の本能等々に成る。
人なら、出来る部分が有る・・・勇気を出して、この部分を超える事に成る。
人も動物・・・自己保身が有る、勿論、悪い事では無いと思う・・・本能だから仕方が無い・・・
しかし、先に書いた様に、集団と言う単位で生きているし、繋がりや縁等々で生活している。
集団の中には、先に書いた様に、背負われないと生きれない人の居る。
この部分を、無視したり、除外する、方向性が社会に有るなら、之こそ、差別等々と言われている部分に成る。
私は、差別しないと、この様な部分の縁を遮断したり、見ない・気付かない生き方を選んでいる人も居ると思う。
しかし、厳然と社会の中に入る。
当然、親子間や、親族間と言う、狭い、範囲の集団を見ても、確り居る。
私は、色んな情報、現在は個人で、発信できる、ものも多々あるが、この当然、有る部分に対しての、情報が余りにも少ない・・・
普通の感覚だと、負の部分に成る。負は隠す之が普通に成れば、子供達、今後の社会を背負って頂く、人達に見せないで、教育と言う名で、人を創っている事に成る。
私は、当り前と思っているし、この様な部分が普通だと考えている。
恥???当り前を恥と思う事態が、差別心が有る証拠に成る。
誰かが背負い、共々に前に進む、之が社会である。
この背負い手を創る、教育をしているか????・・・・・之が私が危惧する部分に成る。
誰しも老いる、怪我もする・・・之を有りえない事と思っているから、この状態に成ると不幸と感じたす。
誰しも起きる可能性が有ると言うより、有る・・・・
之が解れば、背負われなければ、生きて行けない人が多々いると言う事に成る。
しかし、背負い手を創っていなければ、絶対数が減りだす・・・・少子化の問題、高齢化の問題と通じつ部分が有る。
大きな神輿を一人で担ぐ時代が来れば・・・神輿は動かなくなる。
私も自分の分が有る・・・分を大きく超える方向に成れば、無理・不可能に成って行く部分が増える・・・・
其処に、我が子を・・・とも思っていたが・・・思う様に成らないし、現在の価値観教育と私の話と当然、私の負けに成っている。
私が、嫌いな価値観が、この様な背負われなければ、生きて行けない人を、人と見ない、話し方や価値観・・・・
当然、自己保身の本能が有るし、この本能から感じる、損と言う部分に対しての、勇気が有るかないかに成る。
嫁が、叔母を迎えに言った。叔母が依頼していた、年賀の辞退の手紙の作成を今日する事にしている。
叔母が喜ぶ事は、母が喜んでいると思うので、私は誉れと思い、行っている。
自分の為に生きる・・・他が為に生きる・・・之も何を選ぶかで決まる。
タダ、私が幸せと思う部分は、子供達が、人並みに成って来た事・・・この部分も感謝だと思う・・・
誰しも力が有れば、ポンと格好よい振る舞いが出来る。之が出来ないレベルで、何が出来るかを一所懸命に考える。普通なら、俺関係無いと逃げるのが現代。
この部分が、昔から言われて来た、お天道様は見ている・・・と・・私は考えています。
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