2025年6月14日土曜日

正義が悪を創っている。

 私は、勝ち負け論等々の人の違いを人様に言う事自体が好きで無い、人は、失敗も間違いも起す、しかし、この逆の人の為、役立つ場合も有る。どの方向に己を向けるかが教育だと私は考えている。現代の教育は、己さえ良ければその為には勝ち負け論で勝ち続けるしか方法が無いし、その他は姑息な手段という事に成る。勝って何か意味が有るのか、初期のブログに書いているが、宮殿に住まい・貴族のような生活が出来、周りの人から少しでオコボリを頂こうと、尊敬され近付いていく、当然、己の為・・・・此が表面化すれば、神に近い存在と思って居るので、この様な人を除外・又は死ねと言える立場と思っている。此も一神教の基本に有る。ノアの箱舟の逸話と同じで、神の意向に沿わない人が増えたために、人類抹殺の話になる。此が戒めとして、従順な子羊と人間は成っている。要は、動物だという事、六道輪廻以下の、餓鬼道・畜生道・修羅道のレベルと、固定されている。この価値観なら、修羅道の人が優位になるし、人々を先導・誘導する立場に成る。理由はその様な価値観が基本の人々の価値観に成る。

何度を書いているが、原理主義と言うのは、その哲学・イデオロギー・宗教を信じるだけなら、原理主義と言わない・・・・己の価値観が正しいと風潮知るために、その逆の敵を創り出す。此が問題、国も同じ、国内の民衆も同じ、正義や・正しい等々という情報、意見は、確りと吟味しないと大変な方向に誘導されていく、以前書いているが、一神教で言う悪魔、人を苦しめる・・・神は、最終的に人を見捨てて、地球上を水浸しにした。行動は同じと思う。神も悪魔も己の思い通りにならないときの対処が同じという事に成る。もし、神は人をは破滅に向わせた。様は思うように成らなかったため、悪魔は逆の価値観なので、思うように成らないから、褒美を与えたとなっても不思議で無い。

最近、哲学的事を書くようになってきたのも、世界の情勢の危惧が迫っていると思うから。物に埋もれて生活できている日本国・しかし、今後は物が手に入らない時代に成るとも21世紀早々のブログで書いている。20世紀までの価値観を21世紀まで引き摺れば・・・誰しも想像が出来ると思う。お金が意味を持たない・・・・道具・品物が有っても、修理でき泣けば、新調も出来ない、終戦後の日本国の状態に成る可能性が有る。要は、生きる知恵が有った人が生き残ることになる。現代人、生きるサバイバル的な知恵が有るのか????不平不満を懐き、ひとを襲って生きる。暴度化した民衆となる。生きる為に仕方が無いと言う理屈になる。この様な個人主義が日本でも台頭してきている。何かが有れば、秩序が保たれない可能性も有る。悔しいかな、我が地域の人々は、俺俺主義の人が多いのでこの傾向が感じられる。地域の連帯、協力・共存を考え、各々が協力できる地域社会に本格的に取り組もうとしていたときに病に倒れてしまった。若い人を巻き込み、此も子沢山の私の場合、若者にも顔が利く・・・体は思うように成らないが、絶対に諦めていない。明日は、納骨堂の役員での手入れ・清掃になっている。嫁と、私とで参加を考えている。雨天だと中止になるが、行くだけのことはしないと責務を果したとは思えない。この世に生まれたのは、責務を果たす為・この責務を使命と捉えきれるようになるまで、使命が重くなっていくと私は考えている。なかなか軽く成らないという事は責務を果していないという事にも成る。逃げる事は簡単、死ねば済む、しかし、死んだ後、どうなるかは現実には解らない。

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