母から片道切符の人生・・・敷いたレールの上・道を歩き・進み続けるだけ・・・だから、先を進む先人の生き様が将来の私に成ると言う事、その為に、どのレール・道を選ぶかが大事になる。当然、最終地点は死となる。死までの生きて居る間の生き様のどの部分を評価するかも各自の勝手だし、価値観に成る。又、列ほ車と同じで先頭車両から死に向かう・・・どの列に並んでいるかで先の予想も出来るが、想像も出来ない、咄嗟の時も多々有る。何度か私は、何度も順送りで先頭に居た・この場所を、縁ある諸先輩達が、ドケと後ろに無理矢理に移動された気がする。人様の送迎・特に叔父・叔母の足として是が非でも欲しかった、免許更新・・・予想していた視力より良い感じ・・・最近の更新時間で最短で視力検査をパス・・・・母からの言いつけ「確り、叔父・叔母を看とどけろ」今は出来ないが、確りと従弟が行ってきている。感謝だし、嬉しい事だし、私の一族にとって良いことだと思って居る、高齢化が進む日本・・・甥・姪も還暦を超えていく・・・・色々な事の下働き昔は地域が行っていたが、今は身内から誰が行うのかとなる????若い人が居るのか、その前に葬儀に参列しようという気持ちがあるのか???ないなら、キツイ・大変な下働き等が有ると成れば、誰しも参列しないとなる。何度を書いているが、客としての意識・運営側、おもてなし側など思いもしていない。要は何度も書くが立派な神輿は有っても担ぎ手が居ない・・・これが現代になる。担い手を育て居ない我々先人の責任とも思っているが、己で出来る範囲、狭いが少なくともかぞくはと死に様を出来るだけ見せるようにしているし、その人の生き様も話すようにしている。それで何を感じるかも各自で違うと思うが、何も教えないより、よいと私は考えている。耳障りの良いのが有れば、当然 耳障りの悪いのも有る。このバランスが大きく傾き出すと、些細な指摘も耳障りが悪いと耳を塞ぎ、それを数度言われるとハラスメントと捉えてします。この様な人が、人様の下働きを無償で出来るのか???疑問が有る。
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